6月3日(日) 嵯峨野路散策

昨日は立命館大学全国幹事会へ出席し、40年振りに二条城を見学した。
徳川家康が創建し、幕末の激動期、会津藩松平容保徳川慶喜など大河ドラマの場面を
彷彿する、大政奉還した部屋など見学をした。


       二の丸御殿

今日は松井君と四条大宮で待ち合わせ、大覚寺から嵯峨野路を散策する、市バスを利用する。
9時オープン、一番乗りで大覚寺へ入る


      



ここは「旧嵯峨御所大覚寺門跡」真言宗本山、般若心経の根本道場、
いけばな嵯峨御流の総司所でもある。

嵯峨天皇所縁の寺で五大堂(嵯峨天皇が天下泰平・五穀豊穣を祈願して建てられた、五大明王が祭られている)

宸殿(後水尾天皇より下賜された、寝殿造り前庭には左近の梅、右近の橘が配置されている)など広大な敷地、

大沢池が庭湖になっている。

次に清涼寺、嵯峨釈迦堂五台山で釈迦如来さまは国宝、日本三如来の一つ、

三国伝来(インド、中国、日本)の生身のお釈迦さまとして拝まれている、

通常は見れないが、お偉いさんが来ていて緞帳が挙げられて居た、

じっくりと拝観する事が出来た。

二尊院阿弥陀如来(その人の寿命がまっとうした時極楽浄土よりお迎え下さる「来迎の弥陀」)
と釈迦如来(人が誕生人生の旅路に出発するときに送り出してくださる「発遣の釈迦」)
が並んでいる、
貴重な本堂だ。

もみじの頃は山全体が紅葉に染まるという。

落柿舎は芭蕉の弟子、向井去来の住い跡、何度と無く芭蕉が訪れている

常寂光寺、小倉山の中腹に造られていた、
京都が一望できる長い石段の両脇は苔むした庭園

よく手入れされている、多宝塔は重要文化財になっている、

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小倉池、カメラを構えている人に会う、
どうやらカワセミが居て、それを待ち構えているらしい
写真を頂く、

昔は無かった、竹林の道、多くの観光客が来ている

良縁、子宝、学問の神様、嵯峨野の宮、野宮神社に参拝、日本最古の黒木鳥居が有名

天龍寺は学生時代、塔頭永明院に下宿をしていた。
界隈が一変している

嵐山は観光客でごった返しの状態、
清水寺並みの混雑だ

北門より入る、
広大な庭は夢窓国師が築庭、曹源池は枯山水
池は心の文字をあしらっている

雲龍図は有名だが一度見ているので今回は入らなかった、
臨済宗天竜寺派大本山醍醐天皇の菩提を
弔うため足利尊氏が夢窓国師を開山として創建した。

最後に永明院を訪ねた、
先代の和尚は亡くなられたが奥さんは88歳で健在

親切に元居た部屋を見せて頂いた、40年も前の事、懐かしかった
あの頃が走馬灯のように駆け巡った、
マージャンもした、門限が無く自由に使わせて貰った

南天の垣根、和尚さんのおつとめ、時々自炊もさせて頂いた。

自由勝手に過したあの頃、京都は第二の故郷だ。

よくお世話になった定食屋さんがあった筈だが、
一変している

昼食に入った食堂でこの辺にむかし定食屋さんがあったはずですがと聞いてみた、

家は大正時代よりここで食堂をしてます

その頃は確か定食を商っておりましたという。

中は少し狭くなったようだが、ここだ、懐かしい、
帰り際、新聞の記事を拡大したものが張ってあった。

最後は宝厳寺の庭園を鑑賞して終えた、
嵐山は第二の故郷

夢窓国師道歌
「山水には得失なし 得失は人の心にあり」と詠んでいる

松井君には大変お世話になった、
一昨年は奈良の室生寺長谷寺を案内してくれた。

持つべき者は良き友、
松井君とはこれからも永く永く付き合っていきたい。