7月31日(金)元気よくウォーキング

3時起床、メール、NHKオンラインをチェック、
昨夜はBSプレミアムで英雄たちの選択を見た、特集で1時間半番組
戊辰戦争の徹底検証、長州藩毛利と会津藩保科から始まる
関ヶ原の合戦で三成に就いた毛利は家康に敗れ120万石から32万石に減らされる、
会津藩も当時は上杉景勝やはり石田三成に就いていた、上杉は米沢に移封、
秀忠の一度の浮気でお静の方から正之が生まれる、
家光とは異母兄弟、家光は正之を時の副将軍に抜擢し、家綱の補弼役に命じる、
高遠藩から山形藩、そして会津23万石の藩主となる、
利発な正之公は御家訓15か条を定め代々これを守るよう定めた、
藩祖となった、
第一条には、徳川家への絶対服従
ゆめゆめ従わざる者はわが家臣にあらず、心せよとある、

長州は徳川憎し、時あらば幕府を倒す気まがえは輝元から受け継いでいた、
教育熱心で藩内に130近くの塾があったと言う、


容保は桑名藩から養子で会津入り、伝統である家訓を絶対の物と守って来た、
守護職を承った由来も幕府を守る一念だったのだろう、
孝明天皇の信頼も厚く御所を守る事は絶対の物だった、


吉田松陰はペリーの黒船を見て、重罪を犯しても密航したかった、
失敗に終わり、死罪は免れたが獄中に入る、その頃から猛子、孔子を教えを
共に学ぶ事が始まる、獄中講義で講孟余話、松下村塾を開き、
後に徳川を倒す弟子達が育つ、

江戸無血開城会津は一身に被り薩長同盟と一戦を交える、
会津の戦争と言えば戊辰の役であり、薩摩は西南戦争

会津藩は一貫して武士道を貫き優秀な武士が多かった、
明治でも辛酸を舐めながらも生き抜き、多くの偉人を輩出している、
京都では山本覚馬、妹の八重子、山川健次郎京都大学の総長になった、
大阪では池上四郎が市長になり大改革を敷いた、
柴五郎は陸軍大将で活躍。
長州、会津今も受け継がれている武士道、
子等はならぬことはならぬものですと諳んじる。
長州萩も松陰の教えを守っている、
安倍総理も萩の出、先生と言えば萩では松陰先生の事と言う、
やがて雪解けの時代もやってくるのだろう、、、、

6時よりウォーキングに出かける、Appleミュージックのアプリを入れた、
世界中も音楽が手に入る、健康は自分持ち歩く事はバロメイターだ。