3月16日(水)街道をゆく、欧州白河・会津のみちを見る

2時起床、数独を30分、
Kindle文藝春秋3月特別号、司馬遼太郎の真髄を読んでいた、
NHKスペシャル街道をゆくシリーズを解説しているところで奥州白河・会津のみちに目が止まった、
オンデマンドで探したら1988年に放映されていた、
田村高廣さんが案内人、司馬さんの街道をゆくを映像化したものだ、
はじめに「なにから書き始めたらいいのかわからないほど、この藩についての思いが濃い」
奥州は藤原時代から金の産出が多かった、奈良の大仏も奥州の金で覆われていた、
空海も訪れている、「空しくゆき、みちて帰る」多くの文化を持ち帰ったが、
袋いっぱいに金も持ち帰った、唐に渡る時の準備金になったのだろう、


会津藩の始まりは藩祖保科正之から始まる、
保科正之中流階級を重んじ教育も盛んに行われた、
その中心に家訓15ヶ条を定め守らせた、
この家訓を守らない者は我が家臣にあらずと重く定めた、
これが災いとなって会津藩京都守護職を受けざるを得なかった、

律儀な会津藩新選組を作り、京都の治安を守り、孝明天皇からの信頼も絶大なもので
宸翰を二通授かっている、
容保はそれを35年間片時も離さず死ぬまで肌身離さずに持っていた、

最後は陸軍大将まで上り詰めた柴五郎を取り上げてる、
辛酸な生活を経験し、義和団事件では北京籠城で多くの外国人を救った

そろそろウォーキングに出かける時間だ、