3月20日(水)廃炉への道2019を見た

12時起床、昨夜も早く寝た、眠くなったら寝る自由気ままな生活をしてる、

きのうは春のお彼岸で実家へ行く曽祖父曽祖母、祖父祖母を見送った目を瞑ると微かに蘇る。

順番が私ら兄弟にもそろそろ回ってくるだろう、昭和、平成、新たな年号を生きることができる、

4人兄弟欠ける事なく生きている、今年あたり揃って温泉にでも浸かりたいもんだ。

振り返れば節目節目に大きな波をかぶって来た、忘れもしない三重苦、地震津波原発事故、

それは2011年3月11日2時46分に起こった

M9・0の大地震が東北を襲った、

会津の山奥でも揺れに揺れた、天地がひっくり返るほど恐怖を感じた、

テレビをひねったら津波襲来が刻々と流れる、生で見る津波の恐ろしさをまざまざと見た、

全てがさらわれた大津波宮城県岩手県の太平洋沿岸がやられた、

原発は大丈夫か嫌な予感がよぎる、東電原発の電源がやられ手当が遅れる、何もかもがパニック、

翌日には1号機が爆発、立て続けに3号機も爆発、2号機は内部で炉心がメルトダウン、4号機は使用済み核燃料棒が2300本以上のプールが危ない、放射能の飛散に見舞われ、直ちに強制避難が始まる地震でやられ着の身着のままで避難、戦争以上の経験をした浜通り地区の住民、未曾有の災害はこれまでに無いほどの規模、そして8年が経過した、落ち着きを見せているが震災関連死が急激に増えて来た、阪神淡路もそうだったようだ、

NHKスペシャルでは廃炉への道2019で克明に報道した、危険の除去は遅々として進まず、

除染が終えたと避難解除して住民を呼び戻す、どうなってんだと言いたいがこれが現実に行われている、除染水は溜まる一方、トリチウムを取り除くことができないで保管してる、いずれは海に流すのだろう、廃炉への道は険しい、30年40年と言ってるがそれどころでは無い、永久に取り除くことができないのではという学者もいる、

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放射能は体内に蓄積される、福島の人を始め多くの日本人は死の灰を吸い込んだ、

やがて癌の発病で多く人は無くなるだろう、今世紀最大の事故を経験した人類になる、

1日生き延びられたら儲けもん、感謝の気持ちを忘れずに1日1日を大切に生きて来たい。