3月22日(火) 小雨の中、いわきへ支援

いわき方面は風評被害で物資の支援が少ない、
今回の支援はおかゆ缶、米、もち米、
中野君は630キロの米を支援をしてくれた、
太っ腹だ、なかなか出来ることではない。

三浦君とこのゴザ、ムシロ、その他雑貨モノを2トン車に積み込み、
私のプリウスと2台で喜多方を出発した。

参加者は五十嵐欽哉会長、中野博正、樫内秀司幹事、星富士雄、桑原勇健
高速は使えずいわきまでは3時間かかった。

支援物資は平市内の競輪場が窓口、
多くの物資が届いているように見えたが少ないらしい。
自衛隊の車が待機して次から次と物資を積み込み被災地へ運んでいる。

おかゆはすぐに食べられる美味しいものです、身体の弱っている方に勧めてください。
灯油を20リットル2缶持参したが、此処へは置かず、
小名浜まで持って行った。

どんな状態になっているのかこの目に焼き付けて置きたかった。

私のプリウスに全員乗りトラックは置かせてもらい、一路小名浜
平の市内のショップの9割は閉店している、被害にあった建物も多い
放射能危険地帯から30キロ以上離れているが人が住んでいる様子が見られない
屋内退避が出ている事もある、まるでゴーストタウンだ、

小名浜近くは悲惨だ、倒壊家屋、がけ崩れ、道路の破損、
トンネルを潜ると小名浜市場、
見てびっくり、
かつての小名浜のイメージまるで無い、
津波の恐ろしさをまざまざと知った。

大きな船が道路に、岸壁に横たわり自動車は散乱している。
人影もまばらだ、破壊された町が横たわっていた。
ららミュウ魚市場はトラックが何台もひっくり返り、
貨物列車も無残な姿になっていた。

街中をゆっくり視察、
お菓子屋さんが開いていた、
お彼岸で開いていたのだろう。

大変でしたね、喜多方から来ました、
奥さんの背中には赤子が眠っている
奥のほうにだんながこちらを覗いている、
怪しいものではありません。
灯油2本あります、ポリ缶ごと差し上げますと言ったら、
奥からだんなが出てきた。

耐えてください、歯を食いしばって、
赤子の為にも再建してくださいと言い残し後にした。

アクアマリーン近辺も酷い、
津波が一気に押し寄せたのであろう、
丘の上に自家用が何台も重なっていた。
誰がこんな事になると予想したであろうか、
恐らく住む人は半減するだろう。

美味しい魚の町、観光客で溢れていた小名浜
再建には大変な労力が必要だ

竜馬は、いま一度日本を洗たくいたしたく候、と言って命を張った。

今回の東北太平洋沿岸は総力を挙げて復興に取り組んでも10年はかかる。
2万人は有に超えた死者、無残だ、
悲劇がこれほどまでに酷いとは想像もつかなかった。

東北の底力が試される時だ、
住んでいる我々が逃げてはいけない。
あるもの全てを出しても再建しなければならないと感じた。