3月23日(水) 花粉にやられている

余震が続いている、
200年前にも三陸沿岸に大きな地震があり
津波が押し寄せた記録があるという、
その時は一ヶ月以内に同じぐらいの大きな余震があったらしい。

油断大敵、今回もプレートの幅が大きすぎた。
10日間に身体に感じる余震が60回続いている。

悪い事が重なると豪い事になる、
直下型でも起きたら会津も慶長の大地震の再来となってしまう。
兎に角、大自然の猛威には勝てない。

花粉が飛んでいる、鼻、目に来ている、
こんなときに休んでくれればいいのだが決まって花粉には
やられる、マスク、目薬、帽子は離せない。

昨日、須賀川の増賀さんより電話を戴いた、
須賀川も酷くやられたようだ、市役所は修理不能の状態とか
地区インターアクトの役員の安否は南相馬の中島さんとは連絡が付かない、
内郷の斎藤委員長は水道管がやられて
修理中、三瓶先生は大丈夫らしい。
5月のリーダー研修会は南相馬の松栄高校の当番だが、
今回の避難で実行できず
福島高校にお願いしたとの事、
時間は止まったような感覚で居るがスケジュールはやってくる。

例会があった、出席者は少ない、支援活動の報告をした、
私は21日に行ったいわき、小名浜の報告
治良さんは郡山の報告、
佐原先生は被災地の患者さんを18名受け入れNHK全国放送で流れた。
多くのロータリアンよりお見舞いの言葉を戴いているとの事など。

ロータリーの超我の奉仕とは、将にこのような時に行動を起こせるかだ。
関西から10t車で毛布1000枚、
自家用セスナで医薬品を届けてくれた明石の医者会員、
今度は相馬、新地方面へ行く予定

ライフラインも徐々に整ってきた、
佐川、ヤマトもどうやら配達できるようになった。
一ヶ月も過ぎると非情にも忘れられる、
其の時のボランティアが大切だ。

仮設住宅会津は安全地帯なので大いにアピールして1000個ぐらい作ればいいのだが
行動が遅く、いつも手遅れに終わってしまう。

土地柄か、それとも有能な政治家がいないのか。
会津は雪害の多少はあるが命にかかわるような災害は少ない、
私など住むには絶好な場所と思っている。

宮沢賢治は玄米4合と少しの野菜、味噌少々、
丈夫な身体とわらぶき屋根があれば十分といっている。

贅沢をすれば切りがない、
貧乏でも心にゆとりがあれば幸せ感は味わえる。
アクセク働かなくても自分の生き方さえ持っていれば笑顔で暮らせる。

財産を残しても分配する時には必ず気まずい思いをする、
大切な絆が切られてしまうのが世の常だ。

遺言に自分で作った財産は多少にかかわらず世の平和のために寄付をするようにと、記すべきだ。
人生最後の教育は財産を残すのではなく名を残す事だ[

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