3月26日(土) 手のつけようがない原発

一号機からも強い放射能が漏れているとか
アメリカ、フランス、諸外国は80キロ圏外に避難するよう勧告をしている。

日本政府は30キロ、
この50キロのギャップはどう理解すればいいのだ。

50キロ圏外からも水、土壌の放射能汚染が報道されパニックが起きている。
福島産の野菜、牛乳は販売禁止になっている。

飯舘村は100キロ離れているが水が汚染され配給されている、
土壌もかなりの放射能汚染が見られるという。


枝野長官は自主避難を呼びかけているが政府見解は30キロのままだ。

原発の処理は果たして出来るのか、
チェリノブイリはコンクリートで蓋をし
100キロ圏内は立ち入り禁止だ。

福島もそうならないとも限らない、
現実問題として手のつけられないほど建屋内は強い放射能で覆われている。

50年後であれば、ロボットの活躍で収束もできたであろうが
人間様はそうはいかない、近寄れない。
避難準備をして置かないといけないのかもしれない。

昨年、8月にNHKで大地震津波の事が放映されていた。
津波がもたらす都市災害が如何に凄いものかを
コンピューター解析でシュミレーションしている。
高知の市内に津波が押し寄せ、大災害が起きる事を予想していた。
南海トラフとか言っていた。

仙台が遣られた、若林地区、多賀城、泉地区は津波の被害が凄まじい。
先日行った、小名浜は壊滅状態であった。

防災に強い日本は果たして出来るのであろうか、
経済発展に伴い海を埋めて開発し高層ビルが林立している。

停電一つで東京はパニックに陥る、
都市災害はそこまで迫っているように感じる。

姉の酒蔵が遣られた、酒が溢れ2割はこぼれてしまったらしい、
壁が落ち、天井も剥がれたと言う。
姉は70を超えたが、がんばるからと気丈夫に言っていた。

兄の高砂や醤油店も土蔵倉がめちゃくちゃに遣られた、
14日に聞いたら大したことはない少し壁が崩れたが何とかなるといっていたので
気に留めなかった。

昨日行って見たら大変な事になっていた、社員も半分は休んでもらい
復興に頑張るといっていた。

私のスポーツ店は運がよかった、被害は無に等しい。
ガソリンが無く悲鳴を上げているが8日にプリウスに換えて助かった、
リッター30キロは走る。

今日は浪花屋さんの49日だ、
浪花屋さんは手広く商売をしていて宮城の多賀城に店舗を構えている。
今回の津波で店内水浸しになり、被害を受けた。

生きていくという事は予期せぬ出来事にも対処しなければならない。
気丈夫に振る舞い、立ち向かう根性が備わっていないと負けてしまう。
今日、なにが起こるかは、誰も知らない。
原発も恐い、交通事故に遭わぬ様、気をつけたい。