3月31日(木) 悪夢の3月も終わる

春爛漫、例年なら行楽に出かける季節。
ふきのとうも顔を出し袋一杯に取ってきた。
蕗味噌でもつくるつもりだ。

大災害は深く心に刺さり、景気は一向に回復しない。
ガソリン、灯油は解消されたが、風評被害放射能汚染食品と言われる物が、
棚から消えている。

質素な食事に心掛け決して贅沢はできない。
避難者のことを思うといたたまれない。

星君より電話あり、喜多方に非難されている方の要望で多いのが
風呂に入りたいそうだ、
喜多方ロータリーで支援するとのこと
私も手伝いたい。

坂下の商工会へ久し振りに出向いた、愛想が無い。
如何にも忙しそうに振る舞っているが招かざる客でも居たような対応だ。
苦言を呈す私は煙たいのだろう。

空き店舗を斡旋活用し避難者を応援したらどうだろうとか
仮設住宅をつくり、避難者に移住を促したらどうかとか言っては見たが
馬に念仏、聞く耳を持たない。

坂下の住み良い未来など到底描けない。
トップが確りしないといたずらに時間が過ぎ
住民は憔悴してしまう。

森さんの経過を弟の喜美夫が報告に来てくれた。
術後の経過はよく、血管収縮も起きないだろうと医者は言っていたとのこと。
以前の様には行かないが元気に職場復帰をしてくれる事を願う。

原発も最後はチェリノブイリのようにコンクリートで塞ぐ事になり
周囲20キロは立ち入り禁止区域になるのだろう。

悪夢の20日間は過ぎようとしている。
試練というか、生涯忘れる事の出来ない大惨事を経験した事になる。