7月24日(日) 会津勢3校は敗れた

昨日は会津高応援に福島まで出かけた、シートノックを見て
会津高とは、かなりの差がある事を感じた、それでも野球はやってみないと分からない
微かな望みを持って応援したが、7回コールドで夏は終わった

ベスト8には残れなかった、会津工業は日大東北と延長10回まで戦い1点差で涙を呑んだ
来年こそ甲子園を目指し練習に励んで欲しい

会津農林の野球部員が2人、グローブのオーダーに来た
やる気満々だ、6万円もするグラブをオーダーした
一人は投手用でナイキの松坂モデルをオーダー
もう一人は野手用でミズノKクラブ、新井モデルをオーダーしてくれた

勇人君は今日明日と休みを取り岩手へ出かける、家族サービス、大いに楽しんできて欲しい
夏が終わったかと錯覚を起こすほど涼しくなってきた、何時もなら今頃に梅雨が明け
夏本番、到来と行くのだが、台風が来てめっきり寒くなった
凌ぎ易いがなんか変な気分だ

昨夜はNHK特番で飯舘村の惨状を見た、飯舘村は菅野村長が「までい」を掲げ
飯舘牛をブランド化し、こころ一つにまとめ上げ、うらやむ山村作りに奔走されていた
合併も村民の意向を重視して行わず、独自の路線を歩んできた

放射能が襲ったのを知ったのは、一ヶ月も過ぎてからだ、
政府はスピーディーで放射能汚染がどのように広がったかは
ある程度分かっていたはずなのに、村には知らされてなかった

村の若者は東京電力第一原発に勤めていた、事象が起こり
一度は退社した、呼び出しを受け体内汚染を計ったら4400ベクシルを告げられた
通常の倍はある、全村非難に1ヵ月かかり飯舘村は全員が避難した
若者は仕事が無く火力発電の下請け企業に再就職した
多くの方は原発で非難したが、働き手は原発で働いていると言う、現実の厳しさが窺える

出来る事なら原発を止めてほしい、再生可能なエネルギーを早急に立ち上げ安心安全な
日本にして欲しい、原発は見切り発車し、終着のない機関車だった
放射能は天が与えた教訓だ、手を出してはいけない禁断の果実なのだ