3月13日(火) 被爆をこえて

 平賀佐和子さん昭和11年生まれ、9歳当時爆心地から2㌔のところで被爆した。
多くの人が命を落としたが、平賀さんは75歳の今日、7人の子供と14人の孫たちに
囲まれ、元気に暮らしている、終戦という日本史上有数の逆境を乗り越え、幸せな家庭を築いて来た
その半生を語っている。

原爆少女となった、平賀さんは結婚することなどは考えも及ばなかった。
運命が変わったのは桜沢先生に出会い、食養(マクロビオテック)についての講演を聞いた。
当時は遺伝するとか、癌になるとか、原爆病として恐れられていた。

桜沢先生は「原爆病と言うものはありません」食養を実践すれば治ると宣言された、

「7号食(玄米だけ、ごま塩は可)にしなさい、と言われ、
帰ってから砂糖を捨て、余分なものは一切食べず
完全玄米食を始めた、
味噌汁も飲まない、普通は10日間が一区切りなのだが、平賀さんは1ヵ月続けた。

その間、10㌔体重が減り、
顔中の噴火口も次第に消え、
明らかに体調の変化が出て来た。

「心の原爆症」にかかっていたらしく、
すべては「原爆」を理由にしていた事に気づく。

生きる勇気と負けてたまるか精神で結婚、
夫の一弘さんも被爆者、二人で食養運動に取組み、7人の子宝に恵まれた。

平賀さんの命を救ったのは梅干の力だったと言う、
梅干は極陽性に近い食べ物で、排毒作用が強い、体内の放射能除去に最適だそうだ。
玄米菜食を徹底し、元気で75歳を楽しんでいる。

「難あり即ち有難し」逆境があるから順境があり、
自然摂理に従がい、
決して克服するなどと奢り高ぶってはいけないと言っていた。

続いて占術家の清野芳香氏の算命学が教える順逆こえる人生の知恵、を読んだ。

陰陽五行説に基づく運命学、算命学は古代中国殷王朝の時代に遡る、
天地自然が陰陽五行に当てはめ世の中を治める。
徳川時代はまさに、士農工商、5徳を実践し300年平和に続いた、

親子の上下関係をいま一度取り戻せとか、先生生徒の関係、
明治大正時代の心の教育を取り戻す運動を提唱している。

3,11大震災が若者の心を揺すった、
大人も大いに手助けをし、

日本人本来の恕の世界を創らなければならない。

後は何も失うものはないと被災地の人は言っている、
世界中に人が、温かい手を差し伸べている。
国家を挙げて復興復旧に取組まなければならないだろう。