10月9日(火)期待通りだ、

山中さん受賞に「腹心」の活躍

ことしのノーベル医学・生理学賞の受賞者に、体のさまざまな組織や臓器になるとされる「iPS細胞」を作り出すことに成功した京都大学教授の山中伸弥さん(50)が選ばれました。iPS細胞の開発には山中さんが“腹心”と呼ぶ共同研究者たちの活躍がありました。
このうち、山中さんが初めて構えた研究室で大学院生としてともに研究に当たったのが京都大学iPS細胞研究所で講師を務める高橋和利さんです。
高橋さんは体の細胞を受精直後のような状態に初期化して、万能細胞を作り出すという山中さんの研究テーマを実現するため、ひたすら実験を繰り返したと言います。受精卵を壊して作る万能細胞で特徴的に働いている遺伝子を探し出し、24の遺伝子を細胞の核に移すと体の細胞が初期化することを突き止めました。
このうち、山中さんが初めて構えた研究室で大学院生としてともに研究に当たったのが京都大学iPS細胞研究所で講師を務める高橋和利さんです。

この24の遺伝子をさらに絞り込む過程で、高橋さんは、山中さんが講演などで「天才的なこと」と紹介するアイディアを持ち出します。
24の遺伝子を1つずつ減らして細胞の初期化が可能か実験を繰り返し、初期化に本当に必要な遺伝子を確かめていくという発想です。これによって特定されたのが、iPS細胞を作り出す4つの遺伝子「山中ファクター」でした。
高橋さんは、山中さんが絶大な信頼を寄せる共同研究者としてiPS細胞を実際の医療に応用する研究を続けています。
山中さんは8日の記者会見で一緒に研究を続けてきた高橋さんたち仲間について、「研究室のメンバーに恵まれたことは本当にラッキーだった。奈良先端科学技術大学院大学にいたころは、1人で研究する場面が多くつらかったが、メンバーに元気をもらった。一緒に研究している200名余りのみんなの頑張りに頭が下がる」と話し、感謝の思いを伝えていました。


 「10年ほど前にはiPSのアの字もなかったですし、
  僕らも出口なんか全然見えていなかった。

   でも科学研究の場合、どこから芽が出てくるか分かりませんから、
   水はちゃんとやっていかないといけない」

 明りの見えない暗闇の中で、試行錯誤を繰り返し、
  何度も仮説と検証を積み上げながら、一筋の光を見出し、
  やがて大きな成果として花開く。

50歳の若さでノーベル賞、世界中に駆け巡った快挙、日本の医学の高さを、
証明してくれた、平均寿命を大幅に伸ばす可能性が秘められている。

スカイツリーも大きな波紋を投げかけた、
東京タワーを見下ろす事ができる、634m世界一のタワーだ。
新たな視野で思考が働き、あらゆる面で可能性を高めている筈だ、

今日はIMF世界会議が東京で45年振りに開催される、風向きが変わってきたぞ、
世界中が日本を改めて注視する様になった、
国民性も多いに問われるだろう、国の政治も正常に戻し、
大船出をしなければならない時なのだ。