1月9日(水)父の思い出

「名もなく、金もなく、地位もない」口癖のように言っていた、
晩年の心境だったのだろう。
会社の書斎で日向読書三昧、政治には手を出さなかったが、
文化協会、商工会、ロータリーは初代会長を勤めた。
エピソードも多く語られている、ゆうじっつあは怪物だ、
出来ねえ事はなかった、やるって決めたら必ずやった。凄えがった。
知っている人はそう回顧する、1983年に亡くなって、今年で30年、
早いもんだ、知っている人も少なくなった、

時々、随想集をめくっては懐かしんでいる。
会津をこよなく愛し、多くの作家とも交流があり坂下にも
文化講演会を何度も開いた、
司馬遼太郎中山義秀亀井勝一郎十返肇、永岡慶之助、蒼々たるメンバーが
坂下を訪れた、空前絶後、坂下は凄えがった、と伝えられて居る。

役職は長くすんなよ、嫌われるから、、、
親父は初代会長をして務めた後は直ぐに辞めて居た、

旅が好きだった、仲間に謎かけをして誘い、出かけるのが上手かった、
翌日には魁新聞に随想として載っている、

揮毫帳は欠かさず持って出かける、講演会は一番前、質問も決まって一番にする。
豪放磊落、人には迷惑をかけなかったが、気に入らないと徹底して嫌った。
頑固一徹、味方半分、敵方半分、スケールのデカイ人だった。

高血圧と糖尿病に侵され、昭和63年12月3日に佐原病院でこの世を去った、
思い出せば、私はばっち子、何処へでも連れて行き、
見聞を広めてくれた、今になってその有難さがよく分かる。

今日は一日、親父の随想集に浸るか、、、、