2月9日(土)歴史講演会

このところ、やたら講演会多い、
特に八重の桜に関して山本覚馬、八重の人物像を描いたものは、
本屋に溢れんばかり並んでいる。

県立博物館主催の歴史講演会1は、
1/27「時代を駆ける、新島八重の生涯」の題で
野口信一さんが担当、これは聞き逃した。

今回は2回目、「資料にみる八重と襄の夫婦像」小枝弘和 (同志社社史資料センター)が担当
同志社大学に残っている資料を紹介、
手紙類や住居跡の様々をパワーポイントで紹介された。

二部形式、後半はパネルデスカッション、
八重と襄が少しずつだが浮き彫りになって来た。
襄を支えた八重の人間像、覚馬から受けた教育が、どう生かされたか、

襄は44歳でこの世を去る、14年間の夫婦生活だった、
襄は八重をアメリカでお世話になったハーディーにハンサムウーマンと紹介している、
八重も英語を習ったり、キリスト教を勉強し襄を支えることになる、

結婚後の襄は、忙しく全国を廻って学校、病院、ハリス理化学館開校など
矢継ぎ早に作っている、
仙台では鶴ヶ城を買い取って寄付した遠藤敬止と
接触し東華学校を開校している。

八重が同志社をどう支えたとか、
女がしゃしゃり出て煙たがられたとか、、
八重は憎まれっ子役に徹したようだ、この辺が雲の中でよく分かっていない。

襄はヨーロッパ視察にも出でいる、
行き先ざきから手紙を書いているが返事がなく淋しがったが、
無いのは無事なる証しなんだろう、
そのような手紙が残っている。
46歳という余りのも若過ぎた死、

波乱万丈の修羅場を潜ってきた八重、襄亡き後の八重の生き様は興味深い。
会津には結婚後の3回訪れている、
瓜生岩子、大岩捨松との接触はどうだったのか興味が湧く。

県立博物館のひな人形、紙で作ったものらしい。

会津ローソク祭り、年々盛んになって来た、冬の観光に一役担っている。