2月22日(金)恩師、唐司俊夫逝く

恩師唐司俊夫先生がお亡くなりになった、小学5・6年とお世話になった。
先生は戦後直ぐにシベリアに抑留され、辛酸な苦労を経験している、
少し短気なところもあり、チョークが飛んだり、ゲンコツが落ちたりもした、
それでも憎めない気作さと笑顔があった。

当時は学校宿直があり、面白半分で良く行った、食事も自炊、手伝いもした、
学校夜回りもした、楽しい思い出だった、
夏休みに入ると山に連れて行ってもらった。

今では型破りの行動なのだろうが、あの頃は平気だった、
尾瀬那須に連れて行ってもらった、
それまでは勉強らしい勉強もしなかったが、
個人指導もしてもらい基礎を作って頂いた。

放課後に魚取りもした、修学旅行の事はどうしても思い出せないが、
たくさんの想い出を作って頂いた小学時代、
最後にあの頃の想い出を話をしたかった。
少しどもる所があって、焦るとそれが顕著に現れ、
面白がった事もあった。

校長などには絶対ならないと思っていたが川西小学校を始め何校かの校長をされた、
公民館長もされた、88歳の米寿、天寿を全うされたのか、

何日か前、黒澤明監督のまあだだよ、と映画をDVDで見た、
恩師と生徒がもたらす戦後直ぐのドラマ、懐かしく見ていた、
見ながらあの頃を思い出を懐かしんでいた矢先の出来事だった。

お葬式には行けないので弔問して来た、お顔を拝顔したが赤い顔をしていた、
先生は恥ずかしがると顔が赤くなる癖があった、突然の私の訪問で赤くなったのか、、、
眼鏡は掛けてなかったが、温和なお顔をされて居た。
結婚式にも来て頂いた、ご挨拶も少しどもりながら私を褒めて下さった。

いつかは別れが来るのだろうが、会っておけば良かったという後悔は残ってしまった。
これからは私の中に、生き続けて欲しい、
日向ぼっこをしながら、ベンチに腰を掛け語り合いましょう。