1月17日(金)19回目記念日

3時起床、Facebook、メールのチェック、
昨日はJSERAの理事会で東京へ、晴れ渡ったお天気、
雪無しはイイね、風は少々冷たいが雪国育ちの私は歩いていると汗ばんで来る。
11時より始まった会議は、昼を挟んで4時半までびっちり討議、
2/4全国理事長会が大阪で開催されるのでそのした準備という訳、

会議が終わって何時もの三定食堂で新年会、理事長は新年祝賀会だけでも
何箇所もあり、並の人では出来ない、ご苦労様だ。
重森理事長、ご機嫌よろしくダジャレの連続、
事務局員の田中さん、小沼さんも加わり、楽しいひと時を過ごして来た。

iPadがあれば飽きる事は無い、本を読んだり、メール、Facebookを覗き
コメントを入れる、ブログを書く、何時間でも過ごせる。

繋がった友も増え、思わぬ所でご挨拶を受けることも増えて来た。
不思議な世界だ、JSERAレポートにもFacebook機能を入れ、
スポーツ仲間が増えることを望んでいる。
日進月歩ITの世界は止まるところを知らない、共に研鑽すればいいこともあるだろう。
今日も一日元気に過ごせる事を願って生き抜こうo(^_^)o

小野田寛郎さんが亡くなった、フィリピン、ルバング島で30年間任務を遂行していた。
上司から命令が無ければ出て行かれなかったと頑なに遵守していた、
中野学校で受けた教育は小野田さんの全てを包んだ、

1949年に日本に帰還、50年からブラジルへ渡る、
町枝さんと結婚、30年間ブラジルで牧場経営する、
ある事件から一念発起して小野田自然塾を開講する、
その事件とは金属バットで家族を滅多打ちして家族を殺害した事件だ、
病んでる青少年を自然から学ばせようと行った教育だった、
町枝さんが上梓した本の巻頭には、インタビュー受けた事が書いてある、

30年間で一番楽しかったことは、、、、何一つありません
30年間で一番苦しかったことは、、、、戦友を亡くした事です。

町枝さんは、あなたのためならいつでも死ねる、と献身的に尽くした事を書き留めた。

91歳の人生は、全て他人のために行きた人だ、
険しかった顔が笑顔を絶やさぬ生涯を貫かれた、ご冥福を祈ります。

1995・1・17 5:46に阪神淡路大震災が発生した、M7.0
神戸を中心に火災が起こり6千名以上の方が亡くなられた、
当時のあらましは、阪神・淡路大地震記念、「人と防災未来センター」で語られている。
多くの批判はあったらしいが、これがあったことで多くを学ぶことが出来る、
神戸の46%は震災後に産まれた人となっている、
震災は忘れた頃にやってくる、
明日起こるか知れない自然災害、歴史を学ばなければ自分の生命さえ守れないことになる。