3月28日(金)やっぱり我が家は落ち着く

昨夜、11:30若松に到着、今朝はなんとか6時起床、
よっぽど疲れて居たのだろう、
6時になって、やっと起きたなんて、
こんな事、何年振りか、何時もは、どんな事が有っても4時には目が覚める。

昨日は京都駅前アパホテルに泊まる、疲労困憊即ダウン、
あさ京都7:32の琵琶湖線南草津へ、
ここで茂と待ち合わせてある、
本日一日、松井と茂、私とで滋賀の名所を観光する、

初めに観音寺正寺を経由して観音寺正城跡を見学予定、
快適にドライブ、山腹まで行ったところで、行き止まりの立ち札、あっちゃァ、
しょうがねぇ、歩くか、ところがどっこい、行けども着かない、
遠く彼方に旗が立っている、
あそこまでは歩けないよ、引き返す迂回路が表示されて居た。
やっとの事で寺院の駐車場に着く、ここから寺まで20分、
ここは西国三十二番札所、
あなとうと 導きたまえ 観音寺 遠き国より 運ぶ歩みを、と御詠歌はある、
拝観は出来なかったが、千手千眼觀世音菩薩が祀られて居る、

山城はこの上にある、寺の脇より登る事20分、
石垣が見えて来た、観音寺城跡、日本百名城に入っているが、
建物は何もない、織田信長に焼かれたのである。

ここから桑実寺と道案内がある、ここを回ろうと歩き出す、
行けども行けども着かない、上がって来た人に尋ねたら、
もう一度引き替えさないと、駐車場へ行けない、またチョンボをしてしまった。
1時間はロス、降りて来て5箇荘、近江商人発祥の地、てんびんの里を廻る、

腹ごしらえをして安土城へ向かう

まぼろしの名城、安土城、信長の類稀な想像と奇抜な作りで天下布武を、
轟かせた、石段の両側には、羽柴秀吉前田利家等の屋敷跡もある、
資料によると、日本で最初の天守閣を備えた城で、
世界で初めての木造高層建築であった、
本能寺の変で焼失する、中は八角形、金箔が施され、金閣寺を彷彿される。
1/20の模型が作られている。

安土城の模型

最後は時間まで茂ご推薦の水郷と近江八幡の街並みを見学、
寛一は近江八幡へ行ったら、たねやの菓子をお土産に買ったらどうだとメールが来てた。
日牟禮(ひむれ)八幡宮を参拝し、おまけいっぱいの滋賀のみやこを堪能し、
帰路についた、長かったが非常に良かった。

やっぱし持つべき者は良き友なり、これからも宜しくね(^o^)