6月5日(木)ベトナムに出掛ける

 3時起床、準備品の確認、パスポート、お金、iPadiPhone、薬、
二人揃っての海外も3年振りか、
時間があったので吉田調書最終編を読んでいた、
東電は柏崎刈羽原発中越地震の際火災を起こし、パニックに陥ったが、
今回のような事象には至らなかった、それが満身に繋がり安全神話は崩れなかった、
今回の事象は、3/11・12の二日間にM7.0以上の余震が3回、M6.0以上が48回、
M5.0以上が281回起きた、津波が押し寄せ非常用ディーゼル発電機が全部遣られた、
未曾有の出来事が同時に起きてしまった、この教訓が生かされないと地球は破滅してしまう。

プロローグ
朝日新聞は、東日本大震災発生時の東京電力福島第一原子力発電所所長、吉田昌郎氏が政府事故調の調べに対して答えた「聴取結果書」を入手した。
レベル7の大災害を起こした福島第一原発の最高責任者であり、
事故収束作業の指揮官であった吉田氏の唯一無二の公式な調書である。
吉田氏は事故について報道機関にほとんど語らないまま2013年7月に死去した。
調書も非公開とされ、政府内にひっそり埋もれていた。
28時間、400ページ
 吉田調書は全7編で構成されている。総文字数はおよそ50万字。A4判で四百数十ページに上る分量になる。
吉田氏への聴き取りは13回中11回が福島第一原発から南へ20km離れたサッカー施設
J-VILLAGE JFAアカデミーのミーティングルームで、
残る2回が吉田氏の仕事場である福島第一原発免震重要棟でおこなわれた。
 政府事故調は772人から計1479時間にわたって聴き取りをおこなった。
吉田調書はその一環で作成された。
対象1人当たりの平均聴取時間は2時間弱。
吉田氏への聴取時間は28時間あまりで、あの瞬間、どう行動し、何を考えていたかまで聴き取った。
畑村洋太郎政府事故調委員長は、ほかに吉田氏の公式の調書がないことから「貴重な歴史的資料」と呼んだ。

吉田はまた、日本の原発は、故障に関しては内部事象優先で設計されており、
津波や竜巻、飛行機の墜落、テロといった外部事象によって複数の原発
同時に故障するとは考えていなかったと説明した。
 こうした考え方は、2007年の新潟県中越沖地震柏崎刈羽原発において
複数の原発が同時にやられるという事象が起きた際に改められる機会を得たが、
原子炉がすべてうまく冷却できたことで、逆に「正しかった」とされてしまったと主張した。
 人がおこなう想定は「経験の範囲」でしかできないとし、
きちんと想定してあらかじめ文字にしておけばうまくいったのではないか、
などというのは後からだから言える話だ、とも主張した。
 吉田が述べたこれらの観点は、将来に向けた議論に資すると思えるが、
政府事故調査・検証委員会の報告書からは読み取ることはできない。(文中敬称略)

この事故は人災である、にも拘らず誰も責任を取らず、今に至って居る、
これから裁判は行われるであろうが、調書で示された吉田さんは今は居ない、
細野さんも語りはじめて来た、枝野は口を開かない、

13日、14日の決死隊の事、
決死隊に選ばれた社員は、
顔をすっぽり覆うマスクと限度いっぱいの100ミリシーベルトの放射量を浴びるまで作業ができる、
警報音が鳴らないAPD線量計を持って作業した、被爆した人はかなりに上って居るはず。
ベント解放作業、瓦礫を取り除く作業、今はどうして居るのか、、、、、

自民党が40何年か前にGMに依頼し原発導入を決めた、
民間である東電は、お墨付きで運転に漕ぎ着けた、
安全神話は政府と電力会社の共同作業、多額の補助金で地方は釣られた、
いつも被害を被るのは一番弱い住民と言うことになる。因果な関係だ。