2時半起床、足の痛み止まず、Facebook、メールのチェック、
朝晩、グッと寒くなった、
こがね色に輝いたお米の収穫もほぼ終了、
ただ、値段が昨年比で3000円も安い、これじゃせっかくの豊作も半減だね、
どうしたことか、風評被害がまた出てきたか、、、、(≧∇≦)
今日は久し振りに檜枝岐へ紅葉見学に出掛ける、新聞に大きく報道されたから
多くの人でさぞ賑わうだろう、
下野街道から大内宿、大内宿は朝から混んでいる、
何処がイイのか知らないが兎に角人は多い、
下郷のコンビニで和田君にひょっこり出会う、
和田君は光照寺の住職、
どちらまで、舘岩村までです、
何でまた、
住職の居ないお寺を預かっていると言う、
法事でもあるのだろう、
大変だ、往復で3時間はかかる、
和田君はいつも笑顔を絶やさない。\(^o^)/
怒った顔など見たことが無い、坊様にはうってつけ、
弟も岩手の方で住職になってると言う、
よくできた兄弟だ、
檜枝岐へ近づくと山々が真っ赤に染まってる、ここは寒暖の差が厳しく、
紅葉は早い、
広葉樹が多く見応えはある、
あちこち立ち寄りながら御池へ
この辺に大きな滝がありましたよね、と尋ねたら、
もうちょっと行くと看板がある、
そこから少し歩くと展望台があるから、、、、
吊るしもんがある、デカイイワナですね、いやヤマメだ
取ったばっかしだ、52cmある、大物よ、、、
自慢気に話しだしだ、隣のイワナ、これは取った時、針が付いてた、
私が取られた針で、バカだからまた掛かった、
燻製にしてたところだ、美味そうだ。
御池までの途中が実に美しい、
差し込む光線が、一筋の線を描く、
そうだ、銀山平の方まで行ってみるか、途中、鷹ノ巣に清四郎小屋がある、
亡父は、ここが好きで一年に何回も通った、
ガソリン旦那こと二瓶義春さん、ハマヤの薄さん、
清四郎小屋物語が残ってる、
亡父は檜枝岐が大好き、味噌醤油をここまで売っていた、
ヘリで尾瀬小屋まで上げてもらって使ってもらってた。
檜枝岐でうたったこんな詩が、、
ブナ蒼々、こぶし点々、谷深し
手ぬぐいに印刷し多くの人に配った、
会津の山奥檜枝岐は、平家の落人、よそ者を入れない、
土地を貸さないし売らない、
だから苗字は平野、橘、が大半だ、
当時は若ったのだろう米子の事が大部分だ、ランプしかない山小屋清四郎
周一通いし檜枝岐、恋し周一鷹ノ巣へ、こんな口調で書かれたものだ、
平が岳の登山口にある、
ここに泊まった人には山岳道路を送ってくれる、
行程の半分は助かる、
今でもこうした人で混んでいるという、
亡父が引き寄せてくれたのか、行く途中色んな事が蘇る、
きのこを売ってた露店で清四郎小屋の事を訪ねる、
今日は忙しいから老夫婦で頑張ってると思うよ、ようやく辿り着いた、
そやんだ、あんた高砂屋の旦那かね、
いや私は三男坊でここへ来たのは二回目、
一回目は夜遅く通り、軽く挨拶だけした、
こうしてお話しできたのも何かの縁です、
坂下の桑原さんには随分お世話になった、
出来事は直ぐに新聞に載り送ってくれる、
恥ずかしかったよ、亡父の得意技だ、
米子ばあさんも桑原さんには大変お世話になった、
懐かしく思い出しますと天井を仰ぐ、
これも亡父が引き寄せてくれた出来事はなのか、
18日には27回忌の法要がある、
米子老夫婦は元気で蕎麦を出してくれたよって報告して置きます、
銀山湖の見える所まで行き、引き返した、
途中、山菜、野菜を売ってた売店へ立ち寄る、
試食をたくさん用意してた、私は試食に弱い、つい買ってしまう、
話してると、坂下からねぁ、
おっさんは郡山からここで木彫りの細工物を売ってる、
高砂屋の大ファンで帰りには、
いつも高砂屋へ寄ってニシン漬けの醤油を買っていくらしい、
私はそこの息子だと言ったら、驚いた顔してあれは絶品だね、
隣近所にだいぶ配ったよ、って嬉しいね、コレも亡父の引き合わせか、、、、
浩宮さんは、登山好き、
平ケ岳にも登ってる、店内に米子さんがご挨拶されている写真が飾ってある、
私の一度は行って見たい山なのだが、
田島では新蕎麦祭りがやっていた、蕎麦とてんぷらを食べたが、
本場にしては大したことない、ハズレだ、
やはり坂下の蕎麦が一番だ、
帰って官兵衛を見て、蕎麦を食う、ヤッパウチのが一番だ。\(^o^)/