10月27日(月)倉敷から四国丸亀城、高松城へl

3時起床、Facebook、メールのチェック、
昨夜のニュースでは、知事選開票前に当確が出た、
圧倒的な強さで内堀雅雄知事が誕生した、内堀さんは前知事の補佐役、
大震災の事や、東電問題、全ては内堀さんが采配を振るった、
被災地の信頼も厚い、それに翼政会的状態に成ってしまった、
熊坂さんが、いの一番に名乗りを上げ、宮古市長三期12年の実績を掲げ、
医師という立場、清潔さ、良識派、三拍子揃った候補者だったが、
翼政会には歯が立たなかった、
勝手連良識派を煽ったが押されてしまった、
私も内堀さんには大変お世話になった、
反抗心旺盛な私は熊坂さんを応援する方に回ってしまった。
悔いは無い、内堀さんにしっかりと県政を担ってほしい、

6時に待ち合わせ、倉敷美観地区を散策、小雨の倉敷、情緒がある、
ぼんぼりに照らされ、大正ロマンが漂う、タスキの掛けた散歩びとに出会う、
見廻りを兼ねているのだろう、40年前に勇蔵兄とアイビーホテルに泊まり
大原美術館を訪れた記憶がある、
40年も経つと記憶も薄れ、見るもの全てが斬新だ。

朝日が昇り、一段と美観地区が美しい、
奇人変人かザックを背負いパチリ、パチリとシャッターの音、
近寄って来て、あんたらどこから来た、
私は会津からと言ったら大内の里ね、あそこは、とか白鳥浜とか、
全国を歩き回ってるのだろう、
いやに詳しい、10分ほど立ち話をしたら、写真撮ってやるとカメラを持ち、
そこに立ってパチリ、ここに立ってパチリ、
あっちこっちへ移動して撮りまくってくれた、

別れ際に200円協力してくれんか、って頭を掻いたが、
いいよってお礼ですって500円出したら、
彼が撮った素晴らしい写真を12枚もくれた、
見たら素晴らしいものばかり、危篤な人も居るもんだ。

ホテルの帰り、ささくさと食事をとり、いざ四国路へと走った、
瀬戸中央道、海の上を走る大きな橋だ、
見晴らしも最高、瀬戸内海の島々が一望できる。

快調に走る瀬戸中央道、あっという間に四国に渡った、目指すは丸亀城
全国チェーン丸亀うどん、ここが本部かと思いきやここでは無い、
うどんの本場はどうやら高松らしい、
丸亀城は石の城とも呼ばれ石垣の名城だ、
城内には、打ち込みハギ、野面積み、切り込みハギなど様々な石積みが見られる、
高さ20m以上の城壁に扇の勾配と呼ばれる曲線美が見事だ。
3層3階の現存木造天守、58度の階段は流石にやっと登った、
上から槍で突かれれば滅多なことでは上がれない、四国では最も古い、
現存木造天守では日本一だそうだ。京極高和が築城する、

お昼の時間だが、取らずに高松へ
高松城は、またの名を玉藻城と呼ばれている、その由来は万葉集柿本人麻呂が、
讃岐の国も枕言葉に「玉藻よし」と読んだことに因んでいる、
1587年に秀吉から讃岐一国を与えられ生駒親正が築城、
縄張りは官兵衛とも細川忠興とも言われている。
瀬戸内海の海水を外堀に取り入れ、内堀まで入ってる。
日本三代水城の一つ、松の木が盆栽のように植えられそれは見事だ。

おどろき、桃の木、山椒の木、四国には素晴らしいお城が残ってる、
来年、もう一度残りの高知城今治城徳島城松山城には是非行きたい。
明石淡路道を通り、垂水駅で別れた、三ノ宮、新明石、飛び乗りでひかりにセーフ、
東京では新幹線故障で一時間待たされ、帰ったのが12時前、
今日は強行軍の1日だった、