2時起床、Facebook、メールのチェック、
昨日のこと、散髪屋へ1680円安くて早い意外と丁寧、
駐車場隣に蒲生氏郷の墓がある、信長の懐刀、娘を貰ってる、
日野、松坂を経て会津に入る、石高は92万石、いまで言えば若松は県都
氏郷は知事に当たる、職人を多く連れて来て城下町を形成した、
今の若松が出来上がった、秀吉の天下になり、
勇猛果敢な氏郷は冷水をあぶせられる、一説では毒殺されたのではと、、、
興福寺に眠っている、文武両道に秀で、若くして道半ばで亡くなった。
ここには京都大徳寺の本墓から分骨したものと伝えられている、
墓は五輪塔で空風火水地の五文字、
7層の天守閣を作ったのも氏郷、模型が作られている
若くして亡くなった氏郷は辞世の句を残してる、
限りあらば吹かねど花は散るものを 心短し春の山風
会津では、八重を桜よりも蒲生氏郷の大河ドラマを望んでいた、10年後の夢か、、、
それから青砥さんの絵画展へ行った、前回は分かりずらく諦めたが、
グーグルでしっかりと調べて探した、喫茶店と併用の画廊、
どの作品も素晴らしい、求めたかったが最低で8万円からだ、
じっくりと鑑賞し買うのは諦めた、
本人も居たようだが軽い挨拶で出て来た。
第11回山川健次郎顕彰フォーラムに参加、
初めて参加する、周りを見渡すと会津の歴史愛好者ばかりだ、
大竹正容会長は元喜多方ロータリーの会員、
一度例会で健次郎を語って頂いた、
畑敬之助さんは秋月悌次郎顕彰会の会長、ご挨拶は奥平謙輔と秋月悌次郎の話
健次郎が世に出るきっかけは奥平謙輔と秋月悌次郎が居なかったらなかった話だ。
ご尤もなこと、こちらの話の方が私は面白かった。
中野竹子の事、郡長正の事、資料を頂いたのでじっくりと読んでみたい、
ルーシー・ホール・ボードマン、アメリカで留学資金打ち切り後支援した方、
健次郎は多くの方の支援を得てエール大学を卒業し、東大、京大、九大の総長を勤めた、