3時起床、Facebook、メールのチェック、数独を何題が熟した、
土曜日に花キューピットで大きなシクラメンが届いた、
例年頂いているアシックスさんからだ、
メーカー、問屋さんと付き合っているが、
誕生日にお花を届けてくれるのはアシックスさん以外にいない、
有難い、恐らく取引あるすべてのオーナーにプレゼントする訳ではないだろう、
孫達からもわざわざ来てくれ手渡しでプレゼントを頂いた、
おじいちゃん誕生におめでとう、いつまでもお元気で長生きしてください、
涙がこぼれるほど感激する、
ばあちゃんの誕生日にも同じようにしてくれる、
文藝春秋に高倉健さんの手記が載っていると言うので電子本で購入、
最後の手記、亡くなった4日前の11月6日に文藝春秋に届けられた。
巻頭に諸行無常と書いてある、
これまでの人生を振り返る様に書いてある、
世話になった人々、映画の数々、今まで携わった素敵な因果関係を振り返る。
中国の監督と撮った「君よ憤怒の河を渡れ」
降旗監督と撮った「八甲田山」が忘れられないのだろう、
細かく書かれている、ぶっきら棒の様で寡黙な健さんのように写っていたが、
脚本を読んで自分にはどうしても合わないと思ったら監督に断ったらしい、
役に入り込んで成り切る事が自分には合ってるんです、
いろんな人の人生を垣間見ました、決して派手な役者では無かったが、
最後まで余韻を残した健さん、いつまでも語り継がれるだろう、
比叡山千日回峰行満行を二回も遂げた酒井雄哉阿闍梨と懇意にされていた、
今頃黄泉の国で再開し、会談の続きを楽しんでいるだろう。
酒井雄哉阿闍梨は健さんに言葉を残した、、
「往く道は精神にして、忍びて終わり、悔いなし」
それとなく分かる。
江利チエミと結婚し、別れてチエミは早くに亡くなった、
全く性格の違う夫婦だったろう、健さんからは一言も語られないで終わった、
軍師官兵衛完結篇、関ヶ原の合戦が一日で終わり、
官兵衛が描いていた天下統一は叶わぬことを知る、
長政が家康から褒美に54万石と刀を頂いた、
官兵衛曰く、長政に家康が褒美を差し出した時の手はどちらだった、
長政、右手でした、お主はその時の左手はどうしてた、
官兵衛の思いをしっかりと受け止めていたら、天下統一の手伝いは出来たはず、
しかしその時、官兵衛は長政が自分を超えたことを知る、
善助に兜を渡す、長政に全てを託す官兵衛は2ヶ月後に自分は終わることを告げる、
二ヶ月後の3月20日に官兵衛は旅立つ、光との別れ、
長政の嫡男に満徳と命名した官兵衛の思い、
全ては走馬灯の如く消え去った。
一年間ご苦労様でした、官兵衛役の岡田准一官兵衛に見事成り切った。
久し振りに蕎麦を打った、高遠蕎麦で舌鼓、温泉に行って、うたた寝、
平穏な一日であった。*\(^o^)/*