12月25日(木)黒田如水・街道をゆく

2時半起床、昨夜も寝るのが早かった、
淡々と過ぎる年末の早さは何なんだ、
ベンゼネの社員が今年最後の挨拶に来られた、
忘れられない、
スポーツ店を開くに当たって最初に相談に乗ってくれたのはベンさんだった、
あれから35年幾多の変遷を超えここまで来たが、
ベンさんには随分と助けられた。

朝のミーティングで勇人君が勇偉君に将来の指針を示すよう迫った、
ここが正念場、しっかりと束ねられる方針が出せるか、、、、
私の賞味期限はもうとっくに切れている、

今朝は軍師官兵衛の最終編を再度オンデマンドで見ていた、
家康関ヶ原の合戦、如水天下統一に向けての九州出陣、
黒田家臣はここぞとばかり破竹の勢いで九州を支配する、
長政は関ヶ原で一番の武功を上げる、一日にして勝敗を分けた、

それを知った如水は、すべてが終わったことを知る、
家康との約束、天下を治めるには、それに相応しい人物が治めること、
戦の無い平穏な日本を作る約束を交わす、

死期を二ヶ月後と悟った如水は長政と善助を呼び、最後の遺言を授ける、
生涯戦に負けたことが無かった官兵衛は家康に負けた事を告げる、
戦国乱世を生き抜いた軍師官兵衛物語は、我々に何を投げかけたのだろうか、、、、。

第五回街道をゆくを見た、
長州路、肥薩のみち、長州陣なかりせば明治は無かった、
司馬遼太郎はそうまで語っている、
土を踏む、風に聞く、声と出会う、そして遥かな時を見る、
いま、日本という国を知る、から始まる。
考察力は遥かに超え、歴史がひっくり返るほどのロマンを感じることがある、
長州人には怜悧さと言う他にない集団が出来た、
奇兵隊である、藩民は志願して奇兵隊に入った、
その影に白石正一郎赤間神社の初代宮司がいた、
彼は全面的に応援を惜しまず、全財産を投げ打った、
もう一人は吉田松陰である、
毛利が長州に減石されて移った時、家来は商人、農民になって付いて来た、
ここから気風が出来上がる、毛利は殖産に力を入れ、
塩、紙、ロウ、長州の三白として栄えた
吉田稔麿の律儀さ、玉木文之進の教育、
周防の生い立ちが静かにこの地で熟成された。
この街道をゆくは、もう一度見たい。