4時起床、昨日の朝のウォーキングはAPAホテルから歩いて7分、
西本願寺へ行った、
龍谷山本願寺、親鸞聖人によって開かれた、
親鸞は日野の里で生まれ、9歳で青蓮院で出家得度する、
その後叡山で学問修行、
29歳の時法然聖人の弟子になり「南無阿弥陀」という念仏の教えに帰依する、
35歳の時、念仏弾圧により越後に流罪、恵信尼を妻に迎え関東に移って念仏を広める、
境内は、阿弥陀堂、御影堂、国宝の唐門、飛雲閣、広大な敷地だ、
信者の参拝、観光客が連日押し寄せている。
小一時間の散歩だったが御影堂にも入れて頂き、凛とした空気に触れる事が出来た。
駅前APAホテルも外人さん観光が増えほぼ満員、朝の食事は20分待ち、
腹ごしらえもでき、9:40の宇治平等院と紫陽花三室戸寺、
6時間半の観光バスに乗る、天気もいい、絶好の観光日和、
京都も梅雨入りしたそうだが、初めから中休みの状態らしい、
伏見城が山の上に見える、秀吉の二度にわたる築城、慶長元年の大地震で倒壊、
翌日から築城が始まったらしい、そのうちチャンスがあれば訪れたい。
初めの訪問寺は、三室戸寺5千坪の大庭園、西国観音霊場十番札所、
観光化され、祈るという霊験な気持ちは湧いてこない、御朱印だけ頂く、
続いて平等院鳳凰堂、日曜日とあってバスも多い、修学旅行の定番だ、
まだ早いが昼食付きのツアー、橋のふもとの喜撰茶屋へと案内される、
眺めは抜群、食事の弁当もさぞ美味いだろうと思ったが、
まるでダメ、軽く箸を突き、平等院見学に向かった、
平等院は、1052年藤原頼通が父の道長の別荘を寺院に改め創建、
阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂、経典に描かれた浄土の宮殿をイメージした、
優美で軽快な殿堂、
庭園も簡素ながら極楽浄土を思われる雰囲気が漂う、
宝物は鳳翔館に納められいる、梵鐘、鳳凰一対、雲中供養菩薩像26体、
見応えがあった、平等院の阿弥陀如来は2時間待ち、入れなかった、
修復以前の鳳凰堂、修理中の鳳凰堂、修復後の鳳凰堂を載せて置く、
鳳翔館を見学中、高齢者は倒れている、
AEDされたんですか、いや直ぐに救急車が来ます、と大慌て、
10分待てど救急車は来ない、
倒れて15分以内に処置をしないと生き返らないと私は聞いていた、
雲中供養菩薩像が26体ある展示室のこと、
本人にしては極楽を夢見て気を失ったんだろう、
110分の自由行動は、ここで終わってしまった、
宇治川散策、宇治上神社は次回のお楽しみだ。
朱印帳ブームが長蛇の列を招くている、女性がファンが多いのだろう、
続いていったのが醍醐寺三宝院、世界文化遺産に指定されている、
三宝院は醍醐寺の塔頭、秀吉がここで花見を催し、自ら縄張りをし、
名石「藤戸石」を聚楽第から運んだと言われている、石組みが素晴らしい、
庭園は誰の作かは知らないが、ジッと座っていると吸い込まれそうになる、
五重塔まで行きたかったが、ここも次回じっくりと訪れたい寺院の一つ。
勧修寺、園遊式の庭園が見もの、
4:30の新幹線ひかりで帰宅、東京までグッスリと寝ていた、
京都から郡山、郡山から会津若松駅、22:02到着、
店舗拡大をどうするか、二度と無いチャンスなのだが、
息子たちはいたって堅実派、乗ってこない、
今日の朝のミーティングで結論を出す、
朝のミーティングが済み、丸正さんへ謝りに行く、
私が先頭だってやる訳でもないので仕方ない、
渋川君にも謝ってきた、
大家の塚原さん、店舗面積拡張はダメとの返事、
世の中そう上手くは行かないもんだ。
帰りにさつき展へ寄った、見事なサツキが所狭しと並んでいる、
冬の水やり管理を怠ると死んでしまうらしい、