8月11日(火)戦争の事

2時半起床、昨夜も寝苦しかった、Facebook、メール、NHKオンラインをチェック
小名木善行さんのブログを見る、ネズさんのブログで多くの人に読まれている、
戦争責任者で処刑された東条英機の事を書いている、
彼の遺書が全てを語っている、

[f:i東条英機の遺言
 開戦の時のことを思い起こすと実に断腸の思いがある。
今回の処刑は個人的には慰められるところがあるけれども、
国内的の自分の責任は、死をもって償えるものではない。
しかし国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。
力の前に屈した。自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。
ただ同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、実に残念である。

 天皇陛下および国民に対しては、深くおわびする。
元来、日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志により行動すべきものであったが、
一部あやまちを生じ、世界の誤解を受けたるは遺憾である。
日本の軍に従事し、倒れた人および遺家族に対しては、実に相済まぬと思っている。
 
 今回の判決の是非に関しては、もとより歴史の批判に待つ、
もしこれが永久の平和のためということであったら、
もう少し大きな態度で事に臨まなければならぬのではないか。
この裁判は、結局は政治裁判に終わった。
勝者の裁判たる性質を脱却せね。
 
 天皇陛下の御地位および陛下の御存在は、動かすべからざるものである。
天皇陛下の形式については、あえて言わぬ。
存在そのものが必要なのである。
それにつきかれこれ言葉をさしはさむ者があるが、
これらは空気や地面のありがたさを知らねと同様のものである。

 東亜の諸民族は、今回のことを忘れて将来相協力すべきものである。
東亜民族もまた他の民族と同様の権利をもつべきであって、
その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。
インドの判事には、尊敬の念を禁じ得ない。
これをもって東亜民族の誇りと感じた。
 今回の戦争にて、東亜民族の生存の権利が了解せられはじめたのであったら、しあわせである。
列国も排他的な考えを廃して、共栄の心持ちをもって進むべきである。

 現在の日本を事実上統治する米国人に一言するが、
どうか日本の米国に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。
 また、日本人が赤化しないように頼む。
東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにしなければならぬ。
実は、東亜の多民族の協力を得ることができなかったことが、
今回の敗戦の原因であると考えている。

 こんご日本は米国の保護の下に生活していくのであるが、極東の大勢はどうであろうか。
終戦後わずかに3年にして、アジア大陸赤化の形勢はかくのごとくである。
こんごのことを考えれば、実に憂なきを得ぬ。
もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上ないではないか。

 日本は米国よりの食糧その他の援助を感謝している。
しかし、もしも一般人が自己の生活の困難や、インフレや、
食糧の不足などを米軍の日本にあるがためなりというような感想をもつようになったならば、
それは危険である。
実際にかかる宣伝をなしつつある者もあるのである。
よって、米軍は日本人の心を失わぬように注意すべきことを希望する。

 米国の指導者は、大きな失敗を犯した。
日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。
いまや満州は赤化の根拠地である。
朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。
米英はこれを救済する責任を負っている。
従って、その意味においてトルーマン大統領が再任せられたことはよかったと思う。


 日本は米国の指導にもとづき武力を全面的に放棄した。
それは一応は賢明であるというべきである。
しかし、世界が全面的に武装を排除していないのに、
一方的に武装をやめることは、泥棒がまだいるのに警察をやめるようなものである。

 私は、戦争を根絶するには、欲心を取り払わねばならぬと思う。
現に世界各国はいずれも自国の存立や、自衛権の確保を説いている。
これはお互いに欲心を放棄していない証拠である。
国家から欲心を除くということは、不可能のことである。
されば世界より戦争を除くということは不可能である。
結局、自滅に陥るのであるかもわからぬが、事実はこの通りである。
それゆえ、第3次世界大戦は避けることができない。
 第3次世界大戦において、おもなる立場に立つものは米国およびソ連である。
第2次の世界大戦において、日本とドイツが取り去られてしまった。
それゆえ、米国とソ連が直接に接触することになった。
米ソ2国の思想上の相違はやむを得ぬ。
この見地からいうも、第3次世界大戦は避けることはできぬ。
 第3次世界大戦においては、極東がその戦場となる。
この時にあたって、米国は武力なき日本をいかにするのであろうか。
米国はこの武力なき日本を守るの策をたてなければ、また何をかいわんや。
そうでなしとすれば、米国に何らかの考えがなければならぬ。
 米国は、日本8千万国民の生きてゆける道を考えてくれねばならない。
およそ生物としては、生きんことを欲するのは当然である。
産児制限のごときは神意に反するもので、行うべきではない。

 なお言いたきことは、最近に至るまで戦犯容疑者の逮捕をなしつつある。
今や戦後3年を経ておるのではないか。
新たに戦犯を逮捕するというごときは、即時にやめるべきである。
米国としては、日本国民が正業につくことを願い、その気持ちでやって行かなければならぬ。
戦犯の逮捕は、我々の処刑をもって、一段落として放棄すべきである。

 戦死傷者、抑留者、戦災者の霊は、遺族の申し出があらば、
これを靖国神社に合祀せられたし。
出征地にある戦死者の墓には、保護を与えられたし。
従って遺族の申し出あらば、これを内地に返還せられたし。
戦犯者の家族には、保護を十分に与えられたし。

 青少年の保護ということは、大事なことである。近時いかがわしき風潮は、
占領軍の影響からきているものが少なくない。
この点については、わが国古来の美風をも十分考慮にいれられたし。

 今回の処刑を機として敵、味方、中立国の罹災者の一大追悼会を発起せられたし。
もちろん、日本軍人の間に間違いを犯した者はあろう。
これらについては衷心、謝罪する。
これと同時に、無差別爆撃や原子爆弾の投下をなしたことについて、
米国側も大いに考えなければならぬ。
従って、さようなことをしたことについては、米国側も大いに悔悟すべきである。

 最後に軍事的問題について一言するが、
我が国従来の統帥権独立の思想は確かに間違っている。
あれでは陸海軍一本の行動はとれない。
兵役については、徴兵制によるか、傭兵制によるか考えなければならぬ。
我が国民性を考えて、再建の際に考慮すべし。
 教育は精神教育を大いにとらなければならぬ。
忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任感をゆるがせにしてはならぬ。
この点については、大いに米国に学ぶべきである。
学校教育は、人としての完成を図る教育である。
従前の醇朴剛健のみでは足らぬ。
宗教の観念を教えなければならぬ。
欧米の風俗を知らせる必要もある。
俘虜のことについても研究して、国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。



 以上が昭和23年12月22日夜、死刑執行(12月23日零時)数時間前に、
東京巣鴨において、教誨師花山信勝師の前で東条英機が朗読した遺言の摘要である。



やなせたかしアンパンマン作家2013年に亡くなられた、
やなせたかしさんは言ってた、
戦争は絶対にしてはいけない、一種の狂気であり、人をおかしくする。
戦争体験をこれまでは語らなかった、

沈黙」を破るのは最晩年だ。
自伝などで従軍体験を簡潔に記していたが、
亡くなる直前の13年4〜6月のインタビューをまとめた「ぼくは戦争は大きらい」(13年)で克明につづる。その理由を記していた。

 <なぜ戦争の話をするようになったのか、というと、
同年代にはもう戦争体験を語れる人がほとんどいなくなったことがあります。
戦争を語る人がいなくなることで、日本が戦争をしたという記憶が、
だんだん忘れ去られようとしています。
人間は、過去を忘れてしまうと同じ失敗を繰り返す生き物です>

 越尾さんは、やなせさんの一言が胸に残っている。
「人間も動物だ。争いたくなることもあるだろう。
でも人間だからこそ、知恵で戦争を避ける工夫をしなければ」

 知恵とは何だろう。
アンパンマンはいつも悪役・ばいきんまんと戦っている。
でも決してたたきのめしたりはしない。
ばいきんまんも「ばいばいきーん」と言い残して去っていくだけ。「敵」とも共に生きていく。

 「先生は『僕の作品には毒は入れない』と言っていました。
過激な物語ではなく、静かで、分かりやすく、楽しい物語を人々に贈りました。
争わず、平和でいるためにはみんながそんな物語に触れねば、と考えていたようです」(越尾さん)

 そのやなせさんが珍しく戦争映画を見た。
人間魚雷「回天」を描いた「出口のない海」(06年)。
「それまで回天がどんな兵器か知らなかったようです。
知りたくもなかったのでしょう。
でも一度出撃したら二度と帰れない構造の兵器に若者を乗せる、
という発想の残酷さにショックを受けたようで……。
弟もあれに近いものに乗っていたのか、と」

 それでも人を喜ばせることはやめなかった。
07年から亡くなるまで、やなせさんが「責任編集」として参加した季刊誌「詩とファンタジー」を発行する星槎(せいさ)大教授、伊藤玄二郎さん(70)の回想。

 「掲載したイラストから優秀作を選ぶんですが、もうかる雑誌じゃないから賞金も出せない。
するとやなせさんは『俺が出すよ』と言ってくれ、
年1回、東京のホテルのパーティーに受賞者を招き、
賞金も記念品も出してくれました。本人は山車に乗って登場してね。
今会えたとしたら、あの時と同じように『人はほめられることが、
次の夢につながるんだよ』と語るでしょうね」

 天野さんによると、東日本大震災直後、匿名で多額の寄付をしようとした。
でも「お金はすぐなくなる。もっと未来への夢や希望につながる支援を」と思い直し、
イラストを描いた絵はがきやアンパンマンのポスターを被災地に贈り続けた。

 亡くなる数カ月前、アンパンマンの映画の完成試写会で、やなせさんが口にした。
「まだまだこれからが面白いのにな……」。聞いていた天野さん、
「先生、やりたいことだらけなんだな」と思った。
なのに普段から「俺はもう死ぬ」と繰り返していたのは有名な話。
真意を越尾さんにだけ明かしていた。

 「『もう死ぬ、と謙虚な姿勢を見せていれば、死に神も俺にもう少し時間をくれるだろう』と言っていました。生きて作品を作って人を喜ばせ、平和の種をまきたい。
だから生きることにこだわっていたんです」

 亡くなる1週間前ほどから、病室で唱えるようになった。
「神様仏様ありがとうありがとう、お父さんお母さんありがとうありがとう、
暢ちゃん、千尋ありがとうありがとう……」。亡くなるその日。
「みなさんありがとうありがとう」が加わった。