11月5日(木)郵政三社上場・無尽

2時起床、Facebook、メール、NHKオンラインをチェック、
Facebookに星 賢孝さんの素晴らしい写真が、、、思い出に残して置く

ASEAN拡大国防相会議、物別れ、
中国とアメリカの対立が浮き彫り、
南沙諸島の人工島の違法を各国が訴えたが聞く耳持たず、
共同声明は出せなかった。

郵政三社の上場滑り出し好調、初値は大幅上げ、
今日がどうなるか注目されている、

無尽があった、全員ではないが集まった、一ヶ月のご無沙汰です、
皆さんお変わりありませんか、
後期高齢者に成った同級生、
先ずは、ご機嫌伺いから始まる、
一年の早いこと、今年もあと二ヶ月、
新年会の事が話された、
東山芸者真衣ちゃん呼んで愉快にやろうということになった、
売れっ子の真衣ちゃんは、今から予約を入れないと来てくれない、
どうにか間に合ったようだ、
真衣ちゃん呼ぶには敦ちゃん先生のお声が無いと承諾しない、
花代も先生が持ってくれる、有難い、
木枯らしが吹いてくると、寒い冬がすぐそこ、、、
雪囲いも待っている、老体に鞭打って今年も頑張るしかない、、、、

きのうオンデマンドで、その時歴史は動いた、を見た、
松平さんの解説で登場人物がその時の歴史にどのような影響を及ぼしたのか、
ゲストと掛け合い解説する、ここが面白い、
前田利家の妻、まつの決断、
〜加賀百万石・息子利長への教え〜
加賀百万石の礎を築いた前田利家と妻・まつ。
利家の死後、まつは戦国武将の母として息子・利長に乱世を生きる術(すべ)を教えました。
諸大名が徳川家康石田三成のどちらにつくかを迫られる中で、
まつは次の天下人を鋭く感じ取り家康の人質となります。
その行動は前田家を救っただけでなく、
大藩・前田家が家康に従ったことで天下太平への道筋をつけたとも言われます。
まつが家康の人質となる決断を下した「その時」を描きます。

今日もこれから見てみたい、
高杉晋作の生涯
萩の上級武士の家柄で生まれる、
14歳で明倫館で学ぶが劣等生、ここでは本気度が無かった、
吉田松陰を知り、松下村塾で学び、感化される、
晋作は藩の命令で上海を視察、
見たのは英仏の属地に成った上海であった、
このままでは日本も同じ運命を辿る、
外国と戦う集団、奇兵隊を結成する、わずか80人、功山寺で決起、
やがては80人が200人に、200人が3000人と膨れ上がった、
藩との軋轢を勝ち取り、幕府に立ち向かう長州が出来上がった、
晋作は29歳で肺結核を患い亡くなる、
これより先は、頼むと言って息を引き取った。
吉田松陰の自由奔放な考え、分け隔てない教育、
萩にはそういう気風が出来上がっていた、
見ごたえのあった、その時歴史は動いただった、