1時半起床、facebook、メール、NHKオンラインをチェック、
元旦はお天気も良く、神社仏閣への初詣でいっぱいだったろう、
私等も塔寺の八幡神社、恵隆寺立木観音へいったが、すごい渋滞ぜんぜん動かない、
仕方なくユータウンして中田の観音さんへご開帳された観音さんを拝み、
法用寺へ、お参りする人は少ない、住職も若くして亡くなり寂れかかっていた、
会津三十三観音の一つ第二十九札所だ、木造十一面観音立像が二駆安置されている、
開基は古い、720年に徳道上人が開いた、その後たびたびの火災で焼失し、
806年に徳一が再建、三重塔は美しい、扉が開かれ滅多に見られないご開帳をしてた。
春になると会津五桜の一つ虎の尾桜が咲く、花弁の中に虎の尾みたいな物がある、
寒桜が咲いていた、
龍興寺へ向かう、天海上人はここで修業されたという由緒ある寺、
古代蓮が見事に咲く、国宝、一字蓮台法華経が有名、
一度拝見したことがある、写経に台紙を買って来て時々写経している、
御朱印を頂いたら、破魔矢まで頂いた、慌ててお布施を増やした、
伊佐須美神社は混み過ぎ駐車場を探すのが大変、諦めて家路に着く、
実業団駅伝も終盤、トヨタがに連勝を飾った。
元旦温泉へ行く、ここも大入り満員、椅子に座って柔軟体操してた、
サウナに3回入り帰って来た、
その名は町野主水、最後の会津武士、主水は陸奥へは行かず、
落城後の会津に貢献する、死者は町中にゴロゴロと捨てられていた、
新政府と掛け合い五ヶ月も経ってやっと許された、
七日町阿弥陀寺に1281柱、長命寺に145柱、他を合わせて3014柱を祀った
伴百悦と共に埋葬した、
福井藩の久保村文四郎に幾多の難問を浴びせられたが、我慢して何とか埋葬した、
久保村が福井に帰ることを知り束松峠で待ち伏せして刺殺した、
終いには見つかり切腹をする、
三度妻をもらう、ひ孫の百合子さんは毎年勝方寺に墓参している。
町野主水は83歳まで長らえた、いよいよと悟った時、
おマツに遺言のような事を言った、
1、わが亡骸は筵につつみ縄で縛って葬式を出せ、
2、葬式は標旗、提灯、抜身の槍、抜身の刀、それから死骸、僧侶、家族の順、
参加者は全部徒歩で行くべし、
3、戒名は、無学院殿粉骨砕身居士、とすべし、
現在の若松があるのは、町野主水がいたお陰だ。