1月2日(土)さてどこへ行くか

1時半起床、facebook、メール、NHKオンラインをチェック、
元旦はお天気も良く、神社仏閣への初詣でいっぱいだったろう、
私等も塔寺八幡神社、恵隆寺立木観音へいったが、すごい渋滞ぜんぜん動かない、
仕方なくユータウンして中田の観音さんへご開帳された観音さんを拝み、
法用寺へ、お参りする人は少ない、住職も若くして亡くなり寂れかかっていた、
会津三十三観音の一つ第二十九札所だ、木造十一面観音立像が二駆安置されている、
開基は古い、720年に徳道上人が開いた、その後たびたびの火災で焼失し、
806年に徳一が再建、三重塔は美しい、扉が開かれ滅多に見られないご開帳をしてた。

春になると会津五桜の一つ虎の尾桜が咲く、花弁の中に虎の尾みたいな物がある、
寒桜が咲いていた、

龍興寺へ向かう、天海上人はここで修業されたという由緒ある寺、
古代蓮が見事に咲く、国宝、一字蓮台法華経が有名、
一度拝見したことがある、写経に台紙を買って来て時々写経している、
御朱印を頂いたら、破魔矢まで頂いた、慌ててお布施を増やした、

伊佐須美神社は混み過ぎ駐車場を探すのが大変、諦めて家路に着く、
実業団駅伝も終盤、トヨタがに連勝を飾った。

元旦温泉へ行く、ここも大入り満員、椅子に座って柔軟体操してた、
サウナに3回入り帰って来た、

その名は町野主水、最後の会津武士、主水は陸奥へは行かず、
落城後の会津に貢献する、死者は町中にゴロゴロと捨てられていた、
新政府と掛け合い五ヶ月も経ってやっと許された、
七日町阿弥陀寺に1281柱、長命寺に145柱、他を合わせて3014柱を祀った
伴百悦と共に埋葬した、
福井藩の久保村文四郎に幾多の難問を浴びせられたが、我慢して何とか埋葬した、
久保村が福井に帰ることを知り束松峠で待ち伏せして刺殺した、
終いには見つかり切腹をする、
三度妻をもらう、ひ孫の百合子さんは毎年勝方寺に墓参している。
町野主水は83歳まで長らえた、いよいよと悟った時、
おマツに遺言のような事を言った、
1、わが亡骸は筵につつみ縄で縛って葬式を出せ、
2、葬式は標旗、提灯、抜身の槍、抜身の刀、それから死骸、僧侶、家族の順、
参加者は全部徒歩で行くべし、
3、戒名は、無学院殿粉骨砕身居士、とすべし、
現在の若松があるのは、町野主水がいたお陰だ。