1月28日(土)世紀末のカウントダウン

地球最後の日を午前0時とし、それまでの残り時間を示す「終末時計」は、
核戦争などによる人類滅亡の危険性が高まれば分針は進められ、逆に危険性が
低下すれば分針は戻されます。

 初めて時刻を示したのは1947年で、その時は午後11時53分、つまり
人類滅亡まで残された時間は7分でした。

 米ソが水爆実験を行った1953年には終末までの残り時間が2分となりま
したが、その後の冷戦終結ソ連崩壊などにより、1991年には17分前ま
で分針が戻されました。

 しかし、インドやパキスタンの核保有、イランの核開発問題、北朝鮮の核実
験強行、気候変動などにより徐々に針は進み、2015年には3分前まで危機
が切迫しています。

 そして今回、温暖化対策に消極的で、日本や韓国の核武装を容認するような
発言をしているトランプ米大統領の登場で、時計の針は30秒すすめられ、終
末までの残り時間は2分半となっています。

色んな人が色んな事を考える、不思議と当たるから怖い、
残り2分半がどれだけ伸びるかは誰も知らない。

2時半起床、髭を剃って、歯を磨き、顔を洗って、飲み物とみかんを二つたがって書斎へ、
血圧測定 159/89 脈拍 72まあまあ正常か、数独5題、ソリティア5題、
坐禅無し、今日の始まりだ、
昨日の作陶品、削り方が上手くなった、さて釉薬をどうするかが問題だ、

会津のお城の事が気になり、調べていた、

城の始まりは、1384年蘆名直盛が東黒川館を作ったとされる、
1561年に蘆名盛氏が向羽黒山城を作る
伊達政宗に蘆名は破れる
秀吉の天下どりで伊達政宗は追いやられる(たった一年の征服)
1592年に蒲生氏郷(92万石)が松坂より来る、
当時黒川を若松に改める、城下町を整備、いわゆる町割りを引く
7層の天守閣を完成させる
1600年に上杉景勝(120万石)が神指城の工事を始める
関ヶ原に負け米沢に移封、秀行が宇都宮から再び会津に、若死
1611年慶長の大地震M7相当、
1627年加藤嘉明が松山より移封、
壊れた天守を修繕7層を5層に、北出丸、西出丸を整備、
嘉明は街道整備や街中整備にも力を注ぐ、
息子明成、家臣のもめごとで領地を幕府に返上する、
藩祖保科正之会津統治が始まる
保科、松平時代は200年に及ぶ、最後は美濃の高須藩からものとか養子になった容保は
幕末戊辰戦争で30日の攻防に終止符を打つ
昭和40年、当時の写真をモデルに再建される、

今後の冬祭り
2/4・5 柳津
2/11 三島
2/11・12 只見
2/19 金山
2/26 昭和

台湾は利口だ、危機管理が出来ている、
2025年までに、4ヶ所の原発を止める決議をした。
全て日本製、日本は利権が絡んでいるから今の自民公明では絶対に止まらないだろう。