3月3日(金)高野悦子のこと

2時半起床、facebook、メール、NHKオンラインをチェック、
昨日、陶芸クラブで菅さんが高野悦子のことテレビでやってましたよって教えてくれた、
関西NHKで製作し反響を呼んだ、前に問い合わせたらオンデマンドでは見れませんと冷たいくあしらわれた、
二十歳の原点も昔一度読んだがあるがその本が見つからずにいた、アマゾンで最新版を購入した、
悩んで、もがいて、生きて、の題が付いている、昨日も見て今朝も見た、
彼女は1949年1月2日生まれ、学年では2つ違う立命に入学しワンゲルに入部していた、
私もワンゲルに所属していたが卒業まで高野悦子のことは知らなかった、寛一はなぜか知っていたようだ、
この本の最後の方に、こんな詩が、

旅に出よう、テントとシュラフの入ったザックを背負い、ポケットには一箱のタバコと笛を持ち
旅に出よう、

出発の日は雨がいい、霧のようにやわらかい春の雨の日がよい、萌え出た若菜がしっとりと濡れながら、、

疲れ果て心の葛藤に疲れ、旅に出たかったんだろう、
この本は2009年に初版が発売され200万部を超えた、
高野悦子は赤裸々に青春を書き留めた、共感する若者が絶たなかった、
この番組は同じ世代の向井香穂さん、井上彼方さんが高野悦子のノートと語り合いながら青春時代の生き方を模索している様子を描いている、父、高野三郎さんの巻末に書いている「失格者の弁」も感動もんだ、
20歳と6ヶ月で命を絶った、3月29日のノートに、遂に「ほとんど静止しているかに見える氷河が、
1年前に比べると数メートルも移動し、そしていつかは谷底に向かって激しい響きとともに粉々に身を砕く、
氷河のようになるかもしれぬ」
三郎さんは、この氷河の動きを知らず「孤独であり、寂しい」と手を差し伸べていた娘を知り得なかったことが
痛恨の極みと十戒してる、
本に散りばめられた言葉を載せる

私は我の強くない人間である、他者との関係の中にのみ、自己を見出している

私は期待される「成績の良い可愛こちゃん」の役割を演じてきた、

集団から要請された、その役割を演じることに私は存在してきた、
その役割を拒否するだけの私は存在しなかった、

人間が己の人格を発展させようと生きない限り、友情も愛情もない、

私は慣らされた人間ではなく創造する人間になりたい「高野悦子」自身になりたい、

他人は私をガラスを通してみる、私はガラスを通して現実を見る
そのガラスを取り去ったとき一体どんな世界があるのか、

独りであること、未熟であること、これが私の20歳の原点である、結んでいる。