2月19日(火)24日、老夫婦東寺へ

2時半起床、facebook、メール、NHKオンラインをチェック、

週末23日、24日、25日京都・名古屋へ出掛ける、23日は立命館大校友会代表者会議に出る

妻は龍安寺仁和寺等持院など見学し、夕方会議が終わって北野天満宮のライトアップされた梅花

を見学する、宿は駅前のアパホテル、24日は朝から東寺を訪れる宝物館は見られないが観智院を始め当時の全般を見てきたい。

弘法大師は東寺を密教の根本道場を定め伽藍を建造した、そして高野山を修禅道場として入定された。

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延暦23年、804年、私費の留学僧として遣唐使船に乗り込みました。26年ぶりに出航された遣唐使船には、偶然にも、桓武天皇により派遣された伝教大師最澄(でんぎょうだいしさいちょう)が乗船していました。 地位も待遇もまったく異なる弘法大師空海伝教大師最澄
後に、平安の二大仏教、真言宗天台宗の開祖となる二人の出会いでした。
弘法大師空海が31歳のときのことです。

御詠歌には、身はここに(高野山)こころは東寺に納めおく大師の誓いあらたなりけり、

会津ではこれを三回繰り返す。

来年からは校友会の会長を退任するので容易く京都へは来れなくなる、老夫婦記念の旅行になるか。