11月27日(水)大河ドラマ「天地人」オンデマンドで見る

不規則な睡眠をしてるせいか12時ごろは目が覚め以前の大河ドラマ天地人」をオンデマンドで見てた、上杉謙信から受け継いだ景勝と紅葉の家臣と揶揄された直江兼続の戦国乱世を生き抜いたドラマ

火坂雅志著の天地人を元に作られた大河ドラマ、越後、会津、山形、宮城を駆け巡った上杉120万石

秀吉は三成、直江兼続に絶大なる信頼を置き天下安寧に加速した、秀吉亡き後は5大老、5奉行が秀頼を補佐して司った、軋轢はこの頃から現れ家康は天下取りに、三成は秀吉亡き後の秀頼を補佐して取りまとめに奔走した、三成と兼続は考えが似ており家康の傲慢な意見に反対していた、

時に会津上杉は門田城を築く手筈で急ピッチで動いていた、家康は上杉に謀反の動きと騒ぎ立て5大老を説得し上杉征伐に兵を出す、兼続は家康の策略で謀反とは言いがかりと主だった武将に手紙を書く

世に言う「直江状」だ、家康は直ちに兵を挙げ栃木で立ち止まる、一方兼続は白河革籠原に防塁を引き

投網がけの如く木っ端微塵にやっつける戦略が出来上がってた、

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三成は家康留守中に大阪城に諸藩を集め家康と一戦交える体制を引いた、家康は三成めと憤慨し、上杉攻めをやめ急ぎ引き返す、普通なら追い討ちをかけるのが常套だが、景勝は謙信の儀を重んずる教えを守り逃げる家康を追うのを拒んだ、ここが最大の山場だった。

関ヶ原は1日で決着がつき三成の大敗に終わった、小早川の裏切りが最大の原因、

上杉取り潰しは必然だったが、兼続は策を巡らし、本田の息子を婿に入れ取り潰しを救った、

この辺からの上杉景勝直江兼続の米沢城を再建する物語が面白かった。

かねつぐは母から諭された「紅葉のような家臣になりなさい」兼続は景勝に粉骨砕身尽くしサポートした、兼続は子供3人次々と病に倒れ、何もかも失くした、直江の家督は我らで終わりじゃ、

景雄に全てを返上し心静かに過ごした、今の米沢があるもの兼続の功績が大きい、

今後米沢を訪れるときは兼続の功績後を訪ねてみたい。