6月14日(日)第一回新島八重顕彰祭がある、梅雨に入り鬱陶しい日々が続く、致知を読んでいた

2時起床、シャワーを浴び書斎へ本日開催される新島八重顕彰会の下調べ昨年だったか立派な小冊子が贈られてきた。

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これ迄の活動報告と新島八重に関する事柄が載せられている、

吉海直人(同志社女子大特任教授)の八重講座が掲載されている、17講座だ、実に詳しく調べ上げられている。

文武両道の兄・覚馬の影響で砲術に優れる八重は、故郷・会津のため、銃を取って新政府軍と戦う。動乱の中、

洋学者だった夫・尚之助とも別離した八重は、維新後、洋行帰りの新島襄と再婚。

同志社大学創設運動に貢献し、日清戦争では看護婦として尽力する。

大河ドラマ八重の桜は大震災の翌年に放映され一躍有名になった、綾瀬はるかの山本八重の演技は素晴らしかった。

顕彰会の会員も200名を超え大きな組織が出来上がったようだ。

実のところは八重よりも兄の山本覚馬が京都で活躍した事の方が重要、特に「管見」を幽閉されていた時に書き記している、

のちにこれが新政府が樹立して新たな組織を作る基礎になった、

八重は兄、覚馬を頼って母佐久と京都に入る、新島襄と知り合い結婚、同志社大学を創立、日本赤十字に関与して活躍、

残念ながら子供は居なかった、

落城し壁に書き残した「明日からは、いづこの誰がながむらん馴し大城にのこる月影」

波乱万丈の人生を送った八重は、昭和まで生き抜いた、秩父宮勢津子様がご成婚された記念に書いた揮毫は、

「万歳万歳万万歳」よほど嬉しかったのだろう。

今日は大龍寺でその一巻を拝見してくる。

 

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リビングに咲く花優しさを投げ掛けてくれる、かすみ草簡素で華やか、、、。

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