お遍路最終日、お天気の恵まれ決願寺、霊山寺へ向かって車は進む、すべて横付けかと思いきや、そうは行かない。
本堂、大師堂に一連の儀式ローソク、線香3本、お賽銭、納め札、般若心経を唱える。
それが八十八ヶ寺有るのだから如何に大変かは想像が付く、一人だったら恐らくリタイアしたであろうほど過酷な修行だ。
八十八ヶ寺の内、難所を言われる「遍路ころがし」という所がある、意味は遍路をころげ落とすような険しい道だ、
車を使ったお遍路にはその辛さは分からないだろうが歩きにはこれさえ越えれば、これさえ越えればと自分に発破をかけるのだろう、
一に焼山、二にお鶴、三に太龍と揶揄されている、その一つが二十一番札所太龍寺だ、西の高野山と言われている。
一山全体が太龍寺の寺領、此処で空海は舎心嶽(しゃしんがだけ)の上で百日間にわたり「虚空蔵求聞持法」(こくぞうくもんじほう)を習得する「阿波国太龍の獄によじのぼり室戸の崎に勤念す、谷響を惜しまず明星来影す」
青年期の空海は室戸と太龍山で悟りを開いたのだろう、此処には樹齢千年以上の巨樹が残ってる。
全行程歩きでお遍路する人は「ここが遍路ころがし」かとふんどしを締め直し登ったのだろう、
紅葉もいくらか残っており目を楽しませてくれる、
続いて向かったのは二十番札所鶴林寺、遥かに見える太龍寺を金剛界、鶴林寺を胎蔵界の道場とした。
470mの頂に有り眺望も素晴らしい、大師修行中に雌雄の二羽の鶴が舞い降り、境内至るところに鶴があんちされていた、
白衣に前に頂いた亀の朱印と並びに鶴の御朱印を頂いた。
御詠歌は、しげりつる、鶴の林をしるべにて、大師ぞ居ます、地蔵帝釈
十九番札所立江寺、十八番札所恩山寺、女人禁制の聖地だった、大師が17日間女人解禁の秘法を修しその後は女人禁制は無くなった。
お昼はお決まりのうどん、素うどんに山掛けとろろ、旨かった
十七番札所井戸寺、本尊は七仏薬師如来聖徳太子作、開祖は天武天皇勅願、
ご詠歌は、おもかげを、映してみれば井戸の水、むすべば胸の、垢やおちなん
井戸の中に我が身を映して姿が映れば無病息災、映らなければ何かが起きる、、。」
十六番札所観音寺、十五番札所国分寺、聖武天皇が諸国に六十六の国分寺を建立、本堂修理中だったが相当大きな本堂だ。
精力的に参拝は続く、十二番札所焼山寺、役行者小角が開祖、ご詠歌は「のちの世を、思えば苦行焼山寺、死出や三途の、難所ありとも」
巨杉に囲まれた寺だった。
遍路ころがし最大の難所、ここでリタイアする遍路は多い。
途中に衛門三郎とお大師さまの出会いの銅像有り、
十一番札所藤井寺、十番札所切幡寺ご詠歌、欲心、ただ一筋に切幡寺、後の世までの、障りとぞなる
最後の宿泊は、徳島駅前スマイル徳島、疲れも溜まってたテレビも見ずベットに倒れた。