7月20日(金)我が家の朝

2日間の富士登山は終わった、
郡山のワタナベスポーツの会長が亡くなられた、96歳の大往生だ、福島県運動具組合の、
草分け的存在、国体の陣頭指揮、組合の法人化、数々の業績を挙げられた、
駅前アーケード街に7階のビルを立てスポーツショップの殿堂でもあった、
ゼビオスポーツと四つに組んで戦った、ある意味ゼビオが大きくなれたのも、
ワタナベスポーツとの戦いが生きたのかも知れない。

長い間ご苦労様でした、安らかにお眠りください。

立命校友会のメールが入っていた、
9/2の復興会議を仙台で行う知らせ、
東北復興支援ツアのこと、総会の事、忙しくなってくる、
昨年、校友会雑誌で紹介し、その後の変わり具合や私見を載せたいので
協力願いたいと電話があった、


21日は会津高校坂下支部の総会がある、小久保(歯科医)が講演する
どんな話をするのか、年に一度の同窓会、多くの同窓が集まってくれればいいが。

11時より稽古堂で講演がある、
山本覚馬が京都で活躍した知られざるエピソードを交じえ
覚馬を研究されている吉村康先生講演、著書に「心眼の人山本覚馬」がある、
吉村さんが言うには、覚馬の生涯ーその人脈と古都再生に12項目があると言う
東の渋沢栄一、西の山本覚馬と言われる程だ、
◯ 教育、人づくりに熱心だった会津藩
日本最初の小学校、明治2年、翌年には中学校、5年には女子学校をいずれも日本初になる

◯ 武の人だが、記憶力は抜群
◯ 江戸遊学、3人の師匠、日新館教授
京都守護職、長崎へ
◯ 幽因、「菅見」の口述
◯ 古都の荒廃
◯ 古都再生策に奔走
民生、医療、文化、殖産興業、農業、西陣織、京都博覧会、都おどり
数えれば、キリなく各種事業を展開した、現在の京都の基礎を築いたのは、
山本覚馬が筆頭に挙がる、人材登用には抜群の眼力があったようだ。
同志社創立、結社人
京都府議会議員、初代議長
京都商工会議所、発起人、2代目会長
同志社臨時総長
◯ 波乱の生涯

64歳の生涯を京都と共に生きた。
八重は妹、新島襄に嫁ぐ、八重は84歳まで生き、昭和7年に他界した、
来年の大河ドラマは知られざる山本覚馬が全国に紹介されるはずだ。