6月22日(月)戦後70年ニッポンの肖像パート2

2時起床、一連のFacebook、メール、NHKオンラインをチェック、
昨日は父の日でもあった、予報では雨、朝イチに温泉でも行って、
高田のあやめ祭り、塩川のしょうぶ祭り、
天気が持つようだと雄国沼のニッコウキスゲ見にでも行くか、
そんな思いでいた、
高田の龍興寺古代蓮が有る、寄って見る、
今年は手入れに入ったのか見事という訳には行かなかったが綺麗に咲いていた、

高田のあやめ祭り大盛況、朝早いのに多くのヒトヒトヒト、
満開状態、美里町長渡部さんにお会いした、吹上に住んでますと言ったら、
今年中に道路通しますからと言ってた、どこを通すのだろう、、、

300円で野点、生菓子付きで抹茶を頂く、美味かった。
高田名物きんつばも頂く、

塩川へ、御殿場公園、ここはしょうぶ園になっている、春には桜も素晴らしい、
容保公が狩りの休憩所としていたらしい、
火縄銃の演習、初めてお目に掛かる、
迫力満点、火と煙があれほど出るとは想像もしてなかった。

遠くで雷が、雄国沼へのトレッキングは取り止めた、
塩川若竹食堂でラーメンを頂く、美味かった *\(^o^)/*

戦後70年ニッポンの肖像パート2
冷戦の時代、日本は沖縄返還日中国交正常化という外交成果を上げた。
しかし、1971年頭越しの米中和解という外交的試練を受ける。
この時期、尖閣諸島をめぐって米、台湾の水面下の交渉があった。
近年発見されたホワイトハウスの秘密録音から繊維交渉も絡んだ舞台裏を追跡する。
日中平和友好条約締結後、日本は中国への経済援助を続け、
アジアの経済発展の時代を迎える。
大平正芳の外交を中心に冷戦終結までの外交を見つめる。

この頃には大物政治家が結構いた、沖縄返還佐藤栄作首相、
中国国交に田中角栄大平正芳憲法を重視し、安易に核を持ち込む事を拒んだ、
信頼があった、国際的にも日本の信用が増した、
東アジアのくに国から日本の発展はモデルにされた、

中国へも円借款で3兆円を超えていた、東アジアの発展に大いに寄与したのだ。

昨夜の韓国外相との会談、ウィンウィンの関係が築かれるムード、
日韓国交正常化50周年の記念の年に当たる、両首脳記念式典に出席するらしい、
雪融けが始まると春の訪れも早い、
隣国同士いがみ合ってなんの得になるというのだ、
それとも安保関連法案のけん制か。。。。。

柳津、磐梯、猪苗代の町長選、いずれも現職が当選した、
震災後、風評被害が未だ続く会津
勇断を振るって街の発展の為力を尽くして欲しいもんだ。