9月27日(日)秋晴れ母の一周忌

早いもので昨年10月21日に亡くなって早や一年になる、
光明寺で法要を行なった、
その後墓参りを済ませ江戸寿司で法要の会食、
親戚の方々はわざわざ来てくれた、
義理で来た人も居るだろうが区切りをつけるにはこれしかない、
母は往生してくれるだろう天国からありがとうの言葉が聞こえる。

今度巡ってくるのは兄弟関係のことになる、
時代は巡りめぐって繰り返される勇臣兄は俺が死んだら高砂やの墓に入れてくれと頼んだらしい、
私は祖となって墓も作るつもりだ、
倅たちも会津に居を構え今では家族10人になる、
御住職はご縁について説かれた日本では永大供養として周期ごとに
法要を行い偲んでいる、
縁も空と同じ概念であろう、
私は全てのものは目に見えない物を含めて分子という存在で繋がっている、
お釈迦様は
空の概念を宇宙の全てに置き換えて説かれているように思う、
いのちが宿る全ては繋がっていると柳沢桂子さんは言っている、
争いを避け
助け合う互譲の精神が未来を作る、
親鸞は悪人も善人も皆等しく来世に生きられると説いた、
仏教が21世紀の救いの主となれば戦争で
自己主張しても何の徳ににもならない、
いがみ合うより助け合うことが必要だ。


孫の心大が来たらしい、会えなかった。
明日勇臣兄は帰るらしい、
今度は何時会えるか兄は離婚し一人で暮らしている、
子供は3人設け、孫は5人居るという
死んでからは会えないよ、
どんな事があってもこちらから謝る気持ちがあれば時間が経っているのだから会えると思うよ、
ご縁というものは自分を捨てることが出来ないと
訪れないと思う。
残されたいのちは大切にしよう、といいかけて別れてしまった。