5月13日(月)笠井尚の事

笠井尚さんは、時として強力な論説を書き立てる、
歴史的に見ても、無防備な国は決まって侵略を憂き目を被った、
今の日本は、そういう状態に置かれている、
日本国民はアメリカが居るから大丈夫と安心し切っている、
中国、北朝鮮
怖い国である認識を持って対処しないと食らった後では遅い、
笠井さんの言う通り、戦後アメリカに骨抜きにされた日本、
平和憲法に酔いしれていると、いつミサイルが飛んでくるかわからない、
中国の沖縄自国論など、とんでもない暴論で非常識にも程が有る。
安倍首相が唱える憲法改正をいち早く行い、
世界水準の当たり前の日本に変わらなければなるまい。

ここからは笠井さんの論説をコピーして置いた。
ー5月12日ー
 相手が公然とこちらを敵視して、攻撃を仕掛けてきているのに、反撃しないままでいいのだろうか。危機的状況であるのを理解できないからこそ、そんな悠長やことを言ってられるのだろう。
 カール・シュミットの『政治的なものの概念』(田中浩・原田武雄訳)の指摘を待つまでもなく、政治的対立とは、人間を友と敵に分けることである。とくに国家は政治的な概念を前提としており、そのことを無視しては存立も危ぶまれるのである。中共、韓国、北朝鮮が我が国に行っていることは、その政治の適用にほかならない。それに対して、国家として身構えなければ、日本人は亡国の民と化すだろう。「友・敵という政治的結束の究極的な可能性から、人間生活は、すぐれて政治的な緊張を獲得する」からである。とくに、暴力の海を乗りきらなくてはならない国家は、「主体的に友・敵を区別し、必要とあれば戦争を遂行する、という能力ないし意志をもつまでにいたらないのであれば、その場合は政治的単位は崩壊している」ことになり、国民の生命や財産も風前の灯と化すのである。
 日本が戦後失ってしまったのは、まさしく「政治的単位」としての国家なのである。それを見透かしているからこそ、北朝鮮は見せしめに、日本にミサイルを撃ち込もうとしているのではないか。人類愛だとかを持ち出す空虚な議論は、政治が消滅した後の世界でのことであり、差し迫った危機に対処するための、有効な処方箋とはなり得ないのである。

戦勝国アメリカとソ連が日本を犯罪者に仕立てた東京裁判!」
ー5月11日ー
 中共や韓国による日本パッシングをアメリカが放置するのは、東京裁判を蒸し返されるのが嫌だからだろう。「平和に対する陰謀」を理由にして有罪判決が下され、東条英機を始め7名が絞首刑となり、16名が終身禁固刑、1名が20年の禁固刑が言い渡された。
 戦勝国アメリカとソ連が考えたことは、自らの立場を守ることであった。アメリカは日本を戦争に追い込んだ張本人であった。日本商品への懲罰関税、通商条約の取り消し、航空用ベンジンと石油一般の供給禁止、中国への軍事援助、アメリカにある銀行預金の凍結、その上にハルノートである。ソ連の場合は日ソ中立条約を一方的に破って宣戦布告をした。それを正当化するために、アメリカは「日本を正しい道へ連れ戻すため」とうそぶき、ソ連は「ソ連邦に対して戦争を企てる意図あったからだ」と主張した。
 そうした判決に与しなかったのは、裁判官11名のうちの、1名だけであった。それがインドのパール判事であった。日本が受けた仕打ちについて、「ルクセンブルク大公国ですら合衆国に宣戦布告する気にさせたであろう」と述べたのだった。つい最近、私はカール・シュミット著・ヘルムート・クヴァーリチュ編の『攻撃戦争論』(新田邦夫訳)を読んで、東京裁判の問題点を再確認した。それを持ち出されれば、アメリカは困るのだろう。しかし、いつかはわかることであり、真の日米同盟を築くためにも、臭いものにふたをすべきではないだろう。