10月23日(日)古希を迎えたロートルの旅は終わった

2時半起床、よほど疲れたのか階段を下りるのがやっと、
髭を剃り、顔を洗って書斎へ向かおうとしたが足が痛くてマッサージに掛かる、
1時間ほどかかって漸くほごれた、重い荷物と暑さの中、お城巡りはこたえる、
家康誕生の城、岡崎城は一昨年訪れた、
8歳から19歳まで今川氏の人質として駿府城で過ごす、
今川破れて再び岡崎城、青年期はここで過ごしたのだろう、
今回訪れた浜松城駿府城は、家康の生き様が詰まった城だ、
浜松城では29歳から45歳までの17年間過ごしている、
姉川、長篠、小牧、長久手の合戦はこの城から出陣してる、
生死を分けた戦いが三方ヶ原の戦いが、武田の軍勢が押し迫り家康大ピンチ
生涯忘れられない大敗北、家来に家康の格好をさせ、命からがら浜松城へ逃げ込む、
ここは家康の知略が勝った、一晩中松明を城中に炊かせ門を開け不気味な体制をひいた
武田勢は攻め込めなかった、教訓のため絵師に描かせたのが滑稽な家康の姿だ、

浜松城は出世城、その由縁は260年間25代の城主が誕生したが、
いずれも大出世してる、

家康は甲斐の武田との戦いで活躍し褒賞として駿府城を築城する、
5層7階の天守は2度の火災で焼失しその後は作らなかった、
天守発掘調査が行われていた、やがては駿府に立派な天守が作られるのだろう、
今あるのは巽櫓と坤櫓が公園内には家康所縁の建物が建っている、
最後は大御所として実権を握り幕府の制度作りに努めた、

紅葉山庭園、素晴らしい庭園、茶室で頂いた抹茶美味しかった、

お城巡りを終え、上野の博物館へ禅の特別展と滋賀の樂野寺の大観音とみほとけ、
最後の見学で非常に疲れてはいたが、頑張って見て来た、

達磨像(だるまぞう)
白隠慧鶴筆
江戸時代・18世紀
大分・萬壽寺蔵

縦2メートル近い画面いっぱいに描かれた巨大な顔、ことさら大きなぎょろ目。圧倒的な迫力です。白抜き文字は、達磨の宗旨「直指人心 見性成仏(まっすぐに自分の心を見つめよ。仏になろうとするのではなく、本来自分に備わっている仏性に目覚めよ)」。庶民に禅を広めることに努めた白隠は、比類なく力強い造形の書画を数多く遺しました。なかでも著名な最晩年の名作です。

織田信長像(おだのぶながぞう)
狩野永徳
安土桃山時代天正12年(1584)
京都・大徳寺
[前期展示:2016年10月18日(火)〜11月6日(日)]

足利義昭から許された桐紋と織田家木瓜紋を配した肩衣袴姿に脇差をさし、扇子を握って上畳に座る信長の肖像です。細面に切れ長の目、眉間の皺が意志の強さと神経質な性格を感じさせます。信長の葬儀が行われた大徳寺塔頭総見院に伝来し、信長と豊臣秀吉の寵愛を受けた狩野永徳が、信長の三回忌法要のために描いたと考えられています。本図の下に別の信長像が描かれていたことが確認されており、何らかの理由で描き直された姿で完成となっています。

重要文化財 十一面観音菩薩坐像
平安時代・10世紀
滋賀・櫟野寺蔵

像高3mを超す大観音で、重要文化財に指定された十一面観音菩薩坐像では日本最大です。頭と体は一本の大木から彫り出されます。木の重さが伝わってくるような重厚な姿ですが、美しく整った顔を仰ぎ見ると心が癒されます。迫力と穏やかさがともにみられる表現は、10世紀の仏像の特徴です。