4月17日(土)かつて坂下は会津西部の中心地であったが平成の大合併後美里町に変わった様だ、春は楽し花いっぱいの季節

3時半起床、巨人3連勝、大阪最多の感染者1000人を超え1209人、危機的状況に陥ってる、ウイルス🦠は怖いドンパチ戦争より怖い次々と変貌して襲いかかる。世界中の感染者数は、1億3900万人、死者数29000万人、

アメリカ、インド、ブラジル、フランスで感染者数640万人、死者数110万人途方もない数だ。

本来ならオリンピック所じゃ無いはずなのに7月には無観客で実施の予定、いったいどうなってんだ?

美里楽園実施計画では、陶芸教室、絵手紙、書道教室多彩に渡って計画されている、視察旅行もある、

取り敢えず全部に参加して様子を見る。

坂下の昭和時代は裕福だった、坂下の馬鹿3里と言って会津の中心に位置し商業の活発な所だった、喜多方などは坂下を羨んだぐらいだ、

穀物類を集める人は50人ぐらい居たであろう、クルミは生産日本一、ゼンマイも会津方部からかなりの数を集めていた。

味噌醤油も会津一商いし誰もが羨む坂下だった、そんな中喜多方は蔵の街、ラーメンで売り出し、米沢大峠が開通し一気に活気付きラーメンの喜多方は全国盤、年間100万人を越す繁盛ぶり、そんななか坂下は次の一手を打てず衰退の道を歩み始めた、

平成の合併もうまく行かず、何もかもが逆回転、柳津以西は歩調を合わせ奥会津で売り出す危機感も手伝った、昭和村も頑張ってる。

会津美里町は合併を上手いこと使った、じげんプラザを中心に文化活動が芽生え活発になってる、30年一節で地域は変わる、

起爆剤を探せ、勇気を出せ、協調性を出せ、優秀な指導者を出せ、坂下の町興しはそう遠くな無いはずだ。

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すみれの花咲く頃、、、。躍動的な春、植物は🪴子孫を残すため背一杯頑張ってる。