8月14日(火)吉田前所長の談話

吉田前所長インタビュー 福島で上映(8月11日 20:25更新)
東京電力福島第一原子力発電所で、事故対応の指揮を執った吉田昌郎前所長のインタビュー映像が、福島市で開かれたシンポジウムで上映されました。

映像の中で吉田前所長は「3号機で水素爆発が起きたときは、数十人の作業員の行方が分からず、死者が出るかもしれないと思った」などと、当時の状況や心境を語っています。

この映像は、長野県にある出版社が、11日に福島市で開いたシンポジウムで上映するため、
先月10日に東京都内で撮影しました。

映像では、はじめに吉田前所長が「福島の地元の方にご迷惑をおかけしています」と陳謝したあと、
事故発生直後の状況や心境をおよそ30分間にわたって語っています。

また、吉田前所長は最も衝撃的だったこととして、3号機の水素爆発を挙げ、
「自分や作業員も含めて、死んでいてもおかしくない状況だった。
がれきが飛んできて最初、数十人が行方不明になった。
10人くらいが死んだかもしれないと思った」などと述べました。

さらに、第一原発の今後については、「事故責任の追及も大事だが、日本だけでなく世界の知見を集めてより安定化させることが一番求められていると思う。それが地元の人たちにとって改善したと実感してもらえることだ。私自身も体力が戻ったら現場で力を出したい」と述べ、復帰への意欲ものぞかせていました。

吉田前所長は、去年末に食道がんと診断されて所長を退任し、
治療を続けていますが、今回の映像が収録されたあとの先月下旬には、
脳出血のため緊急の手術を受けています。

吉田所長は浪江ロータリーの会員、パニックに陥った発電所の指揮を取った、
事故調査委員会でも、初期の段階で水の注入、電源の回復、ベントをどうするか
時系列で検証していた、
一分争う初動のやり取りが記録されている、吉田さんはこの中で、最も大事な事は
世界の叡智を結集して安全な状態にいち早く戻すことを訴えている。

政府の言う安全基準では怪しいものを感じざるを得ない。
福島のこれからは、全ての面で厳しさがつきまとう、
ハンディを背負った生活を余儀なくされる、一時保証で騙されるな?

致知をよんでいた、佐藤可士和、クリエイティブディレクター、切れ者
斬新なアイディアも持ち主、大企業から引っ張りだこだ、
目指すは打率10割、すべてホームランを狙っている、
失敗は許されないという、すごいプレッシャーを抱えて活動している、
前提を疑う、人の話を聞く、常にニュートラルな状態を保つ
佐藤は今日も戦い続けている、一度、NHKのプロフェッショナルに出たような気がする。

真木和泉の生き方に学ぶ、幕末の尊皇攘夷指導者の一人、気骨者だった。