9月20日(日)シルバーウィーク、蒲生氏郷特別展へ

4時半起床、Facebook、メール、NHKオンラインをチェック、
昨日土曜日から23日水曜日まで大型連休に入り国民の大移動が始まった、
秋の紅葉にはまだ早いが果実の収穫は始まり実りの秋って感じだ、
若松では昨日からイベントが目白押し、
鶴ヶ城築城50周年蒲生氏郷展が開催されている、
2時からはサヌカイト絆コンサートがあるので合わせて行って来た、
鶴ヶ城も中へ入ったのは久しぶりでこんなに多くの人が入ってたとは二重の驚き、
50年前金山の横山武市長が強引に反対を押し切って築城、
当時は無料でお城があったという感じだけで訪れる人も疎らだった、
私は城巡りが好きで全国の100名城を回ってる、先般は四国の名城を回った、
戦国時代に伊達政宗が居城としたらしいが確証は無い、
秀吉の命を受けて松坂より移封された蒲生氏郷が築城、
天守閣も7層あり二の丸、三の丸と近世城郭の見事なものであったらしい、
昭和40年に再建され今年で50年、記念のイベントだ、
氏郷は日野の生まれ、幼少期は信長の人質出会った、初陣で武功を挙げ、
頭角を表す、信長の娘冬姫をもらう、松坂に堅牢なお城を築く、
再建はされてない、石垣が見事だった、
秀吉の天下で伊達に睨みを利かす為会津に移封される、
氏郷は直ちに城を築く若松城だ、
若松の町割を引く、日野、松阪より商人を呼び寄せ定期市を開かせた、
24歳の若さで92万石を拝領し、広範な領地を支配下に置いた、
現在なら知事の役目だったろう、細川、高山右近と親しくキリスタン大名となる、
名をレオ、茶を利休に師事し、利休七哲の一人、利休切腹の後、
子の小庵をかくまう、若松城の一角に麟閣を作られ以後茶の普及に尽くした、
逸話には、
家臣を大事にしていた、「怨まず、怒らず」自由に発言を許し、
自ら風呂を沸かし家臣をねぎらったり、料理も振舞ったしていた、
戦には我に続けといつも戦立ちをし、家臣を鼓舞した、
度重なる出兵で病魔に襲われ京都で倒れる、一説では毒殺とも噂されている、
辞世の句は、
限りあらば咲ねど花は散るものを こころみじかし春の山風
墓所会津の興徳寺と京都大徳寺の黄梅寺にある、
戦国武将に上がってないが、戦上手で家臣の育成、信長の懐刀出会ったのだろう。

高校時代山岳部にいた、この石垣で岩登りの訓練を週一行っていた、
懐かしい、

2時から文化センターでサヌカイト絆コンサートを聴きに行く、

大阪北ロータリークラブが復興支援で若松には大熊町が避難している、
大熊町ハートフルコンサート実行委員会の要請を受けて実施された、
初めて見る、サヌカイト楽器、優しい音色、神秘的な音を奏でる、
珍しい楽器で世界にそう無い、奏でる奏者も小松玲子さん一人だろう、
マリンバ演奏も素晴らしかった、大熊中のものを使って演奏、
たっぷり2時間、ただ聴衆が少なかった、
若松にはロータリアンも多い、この辺に真のロータリアンとは、問われるところがある、
私にとっては充実した1日だった。

今日は楽市楽座が開かれる、氏郷が発案者だ、
オーブン機も買ってくる予定、

塩川正十郎塩爺が亡くなった、93歳の天寿を全うされた、
小泉内閣では財務大臣を務める、
母屋はおかゆ、発言はあまりにも辞世の読み取った、
母屋(一般会計)でおかゆを食ってるのに、離れ(特別会計)ではすき焼きを食べている。
ご意見番塩爺は痛烈に批判した。

ラクビー日本大金星、南アフリカに勝った、24年ぶりの快挙を成し遂げた、