10月21日(金)九度山、大垣城、墨俣城名古屋まで

2時起床、昨夜は締めの懇親会があり、JSERA理事としての最後の仕事と成った、
6年間あまり役に立たない理事ではあったが、
私にとっては貴重な経験をさせて頂いた、
思い起こせば35歳で妻と二人で起業し
全く知らなかったスポーツ業界に飛び込んだ、
バカにもされ今に見てろ追い越してやるってめちゃくちゃに働いた、
そんな姿を見ていたのか二人の息子、
大学卒業後二人共バンダイスポーツに就職してくれた、

思い起こせばJSERA理事となったのは6年前熊本大会後だった、
名刺を配りまくって仲間作りに奔走した、
Facebook、SBS、JSERA仲間と幅が広まった、
昨夜は名刺一枚も交換しなかった、時間が止まった感覚を覚えた、
これでいいんだ未練はない、またいつか何処かで会える日もあるだろう、
老兵は黙ってただ去るのみなのだ、一区切りがついた、
ロータリーも今年いっぱいで退会するつもり、
新たなる道を探る旅に出る、
朝一に最後の理事会、続いて第17回定時総会、全国大会、
研修会は日本高校野球連盟事務局長の竹中雅彦氏の講演
パネルデスカッション、思い出に残る大会だった、

竹中さんの講演題目は「高校野球新世紀、新たなる100年を見据えて」
甲子園野球も100年の歴史を刻んだ、
こう言う大会はそうはない、観客動員も9年連続80万人を突破している、
国民野球として定着するにはジュニアの育成が最大の課題で
業界も動き出したがどう発展するかは未知数だ、
ある調査によると人気度は一位にサッカー、二位にバスケット、野球は三位になっちゃった、
高校野球も二極化が進み100人、200人と部員数がいるチームと9人以下の学校、
連合チームを認めざるを得ないようになったそうだ、

今日は早くにホテルを5時半に出発し九度山に出掛ける、
何もないと言うが真田親子が14年間幽閉されたところ、
信繁はここで幸村に名を改め大阪城へと向かった、
高野山一帯は世界遺産に指定されている、
ここ九度山にも慈尊院と丹生官省符(にうかんしょうふ)神社は世界遺産に登録されている、
慈尊院弘法大師の御毋堂が移り住み、没後弥勒堂が建立された事でここは女人高野と呼ばれている、
奈良にも室生寺は女人高野と呼ばれている、
国宝の弥勒仏坐像は秘仏でご開帳されてない、残念

早い時間ではあったが御朱印を書いてくれた、
慈尊院の裏に丹生官省符神社がある、
119段の階段、神社ながらも弘法大師創建と伝えられている、
御朱印を頂き話し込んでいたら、今夜ホテルで食べてって大きな柿をくれた、有難い

境内の裏から高野山へ続く祈りの道がある、百八十基の道しるべが参拝者を招いている、

真田庵を訪ねる、真田昌幸、信繁はここで14年間閑居した屋敷跡、
門に刻まれた六文銭


ホトトギスが満開

柿の葉寿司を作っている九和楽に寄り出来立ての寿司を頂いた、
美味かった、ベロ抜けた、出来立てホヤホヤの柿の葉寿司、6個750円だった、

昌幸はここで亡くなる、真田庵の一角に五輪塔があった、
真田古墳を通ったのかは知らないが、
名を幸村と改め大阪城に駆けつける、

大阪城真田丸が築かれ冬の陣、夏の陣と家康、秀頼最後の戦いが繰り広げられた、
その一端を見てくる、

いよいよ豊臣秀頼徳川家康との最終の戦い、真田信繁は父昌幸の願いを受け
大阪城へ入る、家康の首を取ると固く誓う
評定が始まり、大阪五人衆が決まる、
来週から本格的に真田丸の真骨頂が見られるだろう、

米原から大垣駅
大垣城は駅からそう遠くない、
昭和の初めは国宝にしてされていたが、
和歌山城と同じく空襲でやられ、いまのは昭和33年に鉄筋で作られたもんだ、
郷土館も素晴らしい、刀剣展、芭蕉展見応え有りました、

本日最後の城探訪、墨俣城

バスで30分はかかった、秀吉が出世するきっかけがこの城だ、
墨俣一夜城、遠くからの眺めは良いが内容は大したことはない、
映像で当時の様子を写してはいたが展示物も良くない、期待はずれだった、

歩き過ぎ足が棒のようになってしまった、ホテルは温泉付きだったので、
ゆっくり入ってからだをほごした。

明日も精力的に動かないと予定通りに行かなくなる、
名古屋で一泊する、
果たして予定通りに行けるか、今後の旅を占う行動となる。