1月23日(土)あやつられた竜馬より

ふとした事から、興味を引くネットページに行き着き18ページに及ぶ竜馬の暗殺に関する事柄が書かれていた
著者は加治将一、操られた竜馬だ暗殺3日前に陸奥宗光に宛てた不思議な手紙だ、
さしあげんと申した脇ざしハ
まだ大阪の使がかへり不申
故、わかり不申

御もたせの短刀は私のよりはよ程よろしく候、但し中心の銘及形、是ハまさしくたしかなるものなり
然るに大阪より刀とぎかヘリ候時ハ、見せ申候。

小弟の長脇ざし御らん彼、成度とのこと、ごらんニ入れ候
                  十三日   謹言

陸奥老台
          自然堂(じねんどう)拝

暗号めいた手紙である、加治さんは刀を情報と解き、短刀をイギリス高官パークス、脇差西郷隆盛、長脇差長州藩と解いた
見事に竜馬が陸奥に近況を知らせている、中岡慎太郎は過激な志士で陸運隊隊長、竜馬とは共に行動していた、慶喜が恭順し大政奉還
受け入れた、西周の入れ知恵、新しい体制で総理大臣を願っていた、一方岩倉具視大久保利通は倒幕して王政復古を果たす事を主張していた
刺激はここから始まった、近江屋2階の暗殺は薩摩藩2名と中岡慎太郎が竜馬に斬りかかったことで謎が深まったという、
竜馬は土佐藩、グラバー邸のパークス高官と通じ諜報活動をしていたと言う、薩長を結び、土佐を引き入れ、岩倉が朝廷を思いのままに
操り歴史が大きく舵を切った、錦を御旗は岩倉が勝手に作らせた、会津は時代に中で躍らせられ、戊辰の悲劇へと繋がった、
その後の明治は薩長の生き残りが日清、日露の戦争を起こし、しいてはアメリカと戦う羽目に陥った。