9月22日(日)無事総会を終えて

昨夜は二次会にも出席し、少々疲れ気味、
年に一度しか会えない方も多い、四方山話の必要だ、
来年は20周年記念に当たる、支援を頂いた事もあり
恥ずかしくない記念総会を開催したい、
いわきはよく分からないので三村さんにお願いし、
私は郡山で高校野球の決勝戦会津工業の3位決定戦の応援に出掛けた。
相手は強豪聖光学院、5回までは1ー1で、もしやの希望も持てたが、
6回からはこてんこてんにやられた、8回コールドで歯が立たなかった。
決勝は日大東北須賀川戦、日大東北には坂下出身の遠藤君が捕手で出ている、
夏の大会も素晴らしい活躍で後一歩というところで敗退、秋はリベンジ鋭く見事、
聖光学院を下した、

皇太子様が郡山に来られる、警備で物々しい、
連休でもあり白河に行きたかったが諦めた、
白河では八重さんゆかりの展示会が開催されていた。

若松では浅田次郎講演会があったが抽選漏れで入れず、要旨を拾って載せて置いた。
  会津とのご縁
浅田 次郎
 会津とは縁が深い。
 何の伝(つて)があるわけでもないのだが、子供の時分から今日まで、折に触れて訪れているのである。
 幼いころのキャンプや、高校時代に一夏を過ごした学生村、猪苗代や裏磐梯へのスキー行。のちにはアパレル業界の仕事でもいくどか会津若松にお邪魔した。
 職業作家になってからは、取材のためにやはりしばしば通っている。幕末期を舞台にした作品が多いせいである。
 このように思い返してみると、子供のころから還暦を過ぎるまで、それぞれちがう目的で訪れている場所などはほかにない。まさに「何かのご縁」とでもいうべきであろう。
 言い伝えによれば、私の家は徳川の御家人であったらしい。詳細はまったく不明なのだが、「御一新の折にはひどい目をついた」という謎の口伝だけが残されている。
 もしや父祖の誰かが会津で戦い、今も魂魄を留めているのではないかなどと、このごろ考えるようになった。

(今回の講演会にあたり、浅田氏からコメントをお寄せいただきた)

孫の心大は鼓笛隊で会津祭りに参加

昨年は大雨で何もかもが大変だった、今年は汚名挽回、天下の秋晴れ多くの観光客で賑わった。

6:00から八重の桜を見て、久々のなでしこサッカーを見て、
仕上げは半沢直樹、最終回を見た、迫力はあったが幕切れが悪い、
40%の視聴率を上げたのだから再度続編が計画されているのだろう。