7月31日(木)月末はクラシック音楽で締め括った

2時起床、Facebook、メールのチェック、
アベノミクスで年が明け、景気がウナギ登りに良く成るかと思いきや、
西高東低、東北には厳しさが漂っている、

インフレターゲットが物価を引き上げ、国民にはそのしわ寄せが来て居る、
消費税アップもジワジワと利いて来て居る、国民の懐が潤い、
豊かな生活を標榜するまでには至っていない、
どうも、政府の言論統制が利いて居るのか、、、

人手不足ばかり独り歩きして、景気が伴っているとは感じられないが、、、、
世界情勢もウクライナ内紛、
イスラエルパレスチナガザ地区の戦争状態で多くの人が亡くなってる、

中国では、元最高指導部の周永康を逮捕、石油利権に絡む汚職だ、
石油閥の大物で親族絡みで行われ、既に一兆円の資産凍結が行われている。
中国の要人は当たり前のように行われていた汚職天国、
どこまでメスを入れられるか見ものだ。

iPadは重宝そのもの、今朝はカラヤン指揮のクラシック音楽を堪能、
カラヤンは小さな音を大切にしていた指揮者、心地良い演奏を聴いて居た、
クラシック音楽を聴いていると心が落ち着く、体内の細胞が活性化するのだろう、
酵素の働きが良くなり、クラシック音楽は最大の薬と言うことに成る、

一日一時間でも触れられたら、医者要らずと言ったところか、、、、

平澤興元京都大学総長、曰く
人間は持てる能力をほとんど使ってない、
その眠れる能力に命懸けで情熱を傾けた時に、初めて揺り動かされる。

努力に勝る天才なしか、、、、、、(^o^)/

戦後史の証言、
日本人は何をめざしてきたのか、知の巨人たち
今回は司馬遼太郎、二十二歳の自分への手紙、
何故、無謀な戦争へ向かったのか、昭和20年に敗戦、
戦後のある日、ハンガリーから逃亡してきた、スティーブン・トロクに出会う、
ハンガリーではロシアとの戦争で20万人が殺された、
トロクはやがてハンガリーに帰り大統領になって国を立て直す、と言ってた、

司馬はその頃「龍馬がゆく」を書く為に取材を重ねて居た、
龍馬と言う人物をどのように描いたら良いのか、大変悩んだと言う、
結局革命で有りながら、あまり血を流さずに江戸幕府を終わらせる策略を練り、
薩長連合、大政奉還船中八策を仕上げる策略に動いていた、

日露戦争を題材に「坂の上の雲」を書き、庶民の努力で国を作る、
そんな機運が明治にはあった、ノモンハン事件から関東軍の台頭で無謀な戦争を仕掛け、
軍隊が統帥権を握り太平洋戦争へとこの国を誤らせた。

司馬の歴史観は深く、昭和の戦争小説は書かなかった、
2015年に日本は戦後70年を迎える、震災、原発事故からの復興、
低迷の続く経済、領土問題などで混迷する外交、

舵取りが非常に難しい、一つ誤れば小競り合いも有り得る、
安倍総理は、集団的自衛権で戦争の出来る国になってしまった。

国民は知らず知らずの内に、危ない状態に巻き込まれて来た。

司馬は最後に自分は21世紀を生きる事はできないことを悟り、
子供達へ一冊の本を残した、長編小説の何倍もの労力を費やしたという。

「21世紀を生きる君たちへ」座右の銘にして読んで欲しい、
優しい人に、いたわりのある人に、他人の痛みがわかる人になれ、
それには訓練が伴う、そういう人間になって欲しいと遺言を残したのである。

二十一世紀を生きる君たちへ   司馬遼太郎

私は歴史小説を書いてきた。

もともと歴史が好きなのである。両親を愛するようにして、歴史を愛している。

歴史とはなんでしょう、と聞かれる時、

「それは、大きな世界です。かって存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです」

と、答えることにしている。

私には、幸い、この世にすばらしい友人がいる。

歴史の中にもいる。そこには、この世で求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、
私の日常を、はげましたり、なぐさめたりしてくれているのである。

だから、私は少なくとも二千年以上の時間の中を、生きているようなものだと思っている。
この楽しさは−−もし君たちさえそう望むなら−−おすそ分けしてあげたいほどである。

 

ただ、さびしく思うことがある。

私が持っていなくて、君たちだけが持っている大きなものがある。未来というものである。

私の人生は、すでに持ち時間が少ない。
例えば、二十一世紀というものを見ることができないにちがいない。

君たちは、ちがう。

二十一世紀をたっぷり見ることができるばかりか、そのかがやかしいにない手でもある。

もし「未来」という町角で、私が君たちを呼びとめることができたら、どんなにいいだろう。

「田中君、ちょっとうかがいますが、あなたが今歩いている二十一世紀とは、どんな世の中でしょう。」

そのように質問して、君たちに教えてもらいたいのだが、
ただ、残念にも、その「未来」という町角には、私はもういない。

だから、君たちと話ができるのは、今のうちだということである。

もっとも、私には二十一世紀のことなど、とても予測できない。

ただ、私に言えることがある。それは、歴史から学んだ人間の生き方の基本的なことどもである。

昔も今も、また未来においても変わらないことがある。
そこに空気と水、それに土などという自然があって、
人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、
それに依存しつつ生きているということである。

自然こそ不変の価値なのである。
なぜならば、人間は空気を吸うことなく生きることができないし、
水分をとることがなければ、かわいて死んでしまう。

さて、自然という「不変のもの」を基準に置いて、人間のことを考えてみたい。

人間は−−くり返すようだが−−自然によって生かされてきた。
古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。
このことは、少しも誤っていないのである。
歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。

この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。

−−人間こそ、いちばんえらい存在だ。

という、思いあがった考えが頭をもたげた。
二十世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といっていい。

同時に、人間は決しておろかではない。
思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。
つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。

このことは、古代の賢者も考えたし、また十九世紀の医学もそのように考えた。
ある意味では平凡な事実にすぎないこのことを、二十世紀の科学は、科学の事実として、
人々の前にくりひろげてみせた。

二十世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、
古代や中世に神をおそれたように、
再び自然をおそれるようになった。

おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、二十一世紀に近づくにつれて、
終わっていくにちがいない。

「人間は、自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている」

と、中世の人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、そのようにへりくだって考えていた。

この考えは、近代に入ってゆらいだとはいえ、近ごろ再び、
人間たちはこのよき思想を取りもどしつつあるように思われる。

この自然へのすなおな態度こそ、二十一世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。
そういうすなおさを君たちが持ち、その気分をひろめてほしいのである。

さて、君たち自身のことである。

君たちは、いつの時代でもそうであったように、
自己を確立せねばならない。

−−自分にきびしく、相手にはやさしく。

という自己を。

そして、すなおでかしこい自己を。

二十一世紀においては、特にそのことが重要である。

二十一世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。
科学・技術が、こう水のように人間をのみこんでしまってはならない。
川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が、科学と技術を支配し、
よい方向に持っていってほしいのである。

右において、私は「自己」ということをしきりに言った。
自己といっても、自己中心におちいってはならない。

人間は助け合って生きているのである。

私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。
ななめの画がたがいに支え合って、構成されているのである。

そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。
社会とは、支え合う仕組みということである。

原始時代の社会は小さかった。
家族を中心とした社会だった。
それがしだいに大きな社会になり、
今は、国家と世界という社会をつくり、たがいが助け合いながら生きているのである。

自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。

このため、助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。

助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。

他人の痛みを感じることと言ってもいい。

やさしさと言いかえてもいい。

「いたわり」

「他人の痛みを感じること」

「やさしさ」

みな似たような言葉である。

この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。

根といっても、本能ではない。
だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。

その訓練とは、簡単なことである。
例えば、友達がころぶ。
ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分の中でつくりあげていきさえすればよい。

この根っこの感情が、自分の中でしっかり根づいていけば、
他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。

君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、
二十一世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるにちがいない。

鎌倉時代の武士たちは、

「たのもしさ」

ということを、たいせつにしてきた。
人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。
人間というのは、男女とも、たのもしくない人格に魅力を感じないのである。

もう一度くり返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言った。
自分にきびしく、相手にはやさしく、とも言った。
いたわりという言葉も使った。
それらを訓練せよ、とも言った。
それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。
そして、”たのもしい君たち”になっていくのである。

 

以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きていく上で、
欠かすことができない心がまえというものである。

君たち。君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。

同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない。

私は、君たちの心の中の最も美しいものを見つづけながら、以上のことを書いた。