2月14日(土)今日まで荒れる模様

3時起床、などを叩く風の音、今日までは荒れると言う、
各地で雪祭りが開催されている、天候が悪いと足も遠のく、
只見の雪祭り一度も行ってないので予定していたが果たしてどうなるか、
雪像作りでは定評がある、研ナオコも来ると言うからなおさら行ってみたい、
10時、思い切って只見に行く事にした、予報では一日雪マーク、
三島でも、金山でも雪祭りが開催されている、
日にちをズラせばいいのにと思うが、予定があるのだろう、
只見は随分と昔から行われている、
今年のメーンは東京駅を作り、ここで繰り広げられるイベントが売り物なんだろう、
研ナオコ親子も2時から登場、夜は花火とライトアップ、
夜までは入れないが雰囲気は分かった、

帰りに三島の雪と火祭りに立ち寄る、夜の松明、花火が売り物。
それまでは居れなかった。

楽天が決算発表し急騰した、一時1800円まで上がったのでストップ高まで行くぞと、
買い増しをしたがそうは行かず下がって1700円で終わった、
月曜日に再度上昇する事を期待している、

100分で名著、岡倉天心茶の本を四回に渡って放映されていた、
オンデマンドで一気に見た、
岡倉天心は日本美術学校を創設している、
日本文化の元は茶にありとアメリカ留学時に英語で書いている、
少し前に新渡戸稲造が「武士道」を英文で上梓、
一躍世界中に翻訳されベストセラーとなった、
背景には日清、日露戦争があり、
島国で鎖国をして他の国から見れば取るに足らない小国が、
どうして大国に勝ったのか不思議でならなかった、
侍の心、潔しの心、日本に息づいている精神はきっと武士道にあるのではと、
世界中が興味を持って読んだのだろう、

その後に岡倉天心が、日本の精神は茶の道に凝縮されていると茶の本を英文で出版、
これがまたベストセラーに成った、茶には虚という空間があり、
何も無いところに、花、掛け軸、茶道具を設え、
一期一会のもてなしをする、
ここに日本の文化、伝統、歴史が見られると茶の本を書かれた、
じっくりと読んでみる、

こんな記事が載っていた。
ふるさと:原発事故47カ月 
「福島に帰れないの?」就活中の息子自殺 母、悔しさ募らせ 「事故さえなければ」
毎日新聞 2015年02月14日 東京朝刊
避難区域にある自宅で、息子の遺影に向かって手を合わせる母親=福島県で先月20日

 物音一つ、聞こえてこない。「どうすればこの子を死なさずにすんだのか。母親失格だな……」。
東京電力福島第1原発事故により、
日中の出入りはできても寝泊まりが禁じられている避難区域の自宅で、
50代の母親はうつむいた。原発事故から2年以上たった2013年、
大学4年生の息子は、下宿先がある関東地方で自殺した。
22歳の誕生日だった。「原発事故さえなければ、
死ぬこともなかっただろうに」と声を震わせた。

 高校時代、息子の部屋は同級生のたまり場だった。
大学に進学してからも、帰省すると友だちと会うのを楽しみにしていた。
だが、原発事故で多くの友人が避難し、離ればなれになった。
「自分は関東にいて苦しい思いをしてないのに、
福島に残った友だちに会っていいんだろうか」。疎遠になっていった。

 12年1月の成人式に帰省した。
自宅周辺は当時、立ち入りが禁じられた警戒区域だった。
人の姿はなく、商店や家は地震で壊れたまま。
息子は「異次元に来ているみたい」と言った。
「まだ家に帰れないの?」と尋ねられた母親は「まだ帰れないんだよ」と答えた。

 命を絶った時、息子は就職活動の真っただ中だった。
大学の友人たちは次々に地元で就職口を見つけていた。
母親が1人で避難していた1LDKの借り上げアパートに、
息子は時々、就職先を探すため身を寄せた。
はじめは忙しそうにしていたが、しばらくすると寝間着のまま過ごすようになった。
「こっちは除染関係の仕事しかないのかな」

 福島にこだわる理由があった。
震災前に地元で就職し自宅で暮らしていた兄が、原発事故で会社が被災したため県外に転勤した。
兄は10代近く続く土地と家を継ぐ予定だった。
息子は大学の友人(23)に「兄ちゃんが実家を出たから、自分が福島に戻った方がいいのかな」と相談していた。そのことを母親が知ったのは、息子の死後だった。

 13年の正月、息子は戻ってこなかった。
「まだ(避難先の)アパートなんでしょ。帰りたくない」。
気になって下宿先へ様子を見に行くと、きちょうめんだった息子の部屋が、ごみや服で散らかっていた。
「仕事を辞めてでも息子にもっと寄り添っていれば、死ななかったかもしれない」。涙がこぼれる。

 亡くなる約1週間前、携帯電話にメールが届いた。
「お母さんが苦労しているおかげで、自分の今の生活があるのだと感謝しています」。
遺書はなく、これが最後のメッセージとなった。

 母親は息子を失った後、仕事を辞めた。
昼間は毎日のように避難区域へ行き、高校の制服姿の息子の遺影に見守られながら、自宅の掃除をして過ごす。
息子の月命日には、亡くなった場所で線香を手向け、
近くのベンチに独り座って息子に近況を報告する。【小林洋子】

精神的な被災を受けた人は、鬱になったり、自殺を考えたり、
初めての原発事故がもたらす障害は計り知れない。
政府、東電は補い切れるのか、、、、