5月20日(金)昨日は大変得をした

2時起床、Facebook、メール、NHKオンラインをチェック、
きのうの陶芸クラブ、
素焼きに釉薬を掛ける、転写紙で写す、
初めての作業で菅先生に聞きながら失敗を恐れずに大胆に釉薬を掛けた、
仲間に下絵転写紙を見せ、実際に写したら皆驚きの興奮ぶり、
桑原さんは何でも知ってるんですね、こんな事どこで知ったんですか、、
iPad見まくってる私にとってはおちゃのこさいさいだ、

午後はアピオプラザへ唐津焼14代中里五郎右衛門展が開催されている、
本人も来ている、何十万、何百万円の品々が並んでいる、
作陶しているビデオも流されていた、
ジロジロあらゆる角度から見てたので脈ありと思ったのか、
係りの方が説明に来て触ってもイイですよって言ってくれた、
手触りが違う、叩き技法、味がある、こんな器を作ってみたいがいつの日になるか、、、、

篠笛奏者 佐藤和哉さんとの対談、
コンサートも聴けた、素晴らしい、篠笛の音色は一風独特、
目をつぶって聴いてるとどこか深いところに引き込まれる、
いっぺんにファンに成った、今日は絵付け体験が出来ると言う、

舛添さんの元妻片山さつきさん、赤裸々に30年前を語る、
「演技力だけはあるんでしょ。でも“公”の意識がない。人の命を預かるトップにしてはいけない人なんです」

そう語るのは、片山さつき自民党参院議員(57歳)。約30年前、舛添要一東京都知事(67歳)の妻だった女性だ。確かに、舛添氏は“演技力”に自信があるのだろう。13日の定例会見に集まった報道陣は約200人。正月の家族旅行でのホテル宿泊問題など、次々と浴びせられる質問に対し、証拠をひとつも開示せずにかわそうとしたのだから……。

片山氏は舛添氏を、自己アピール力だけで生きてきた政治家だと評する。

「利用できる人はなんでも利用する人なんです。彼にとって他人は、利用する、あるいは寄生する対象でしかない。私との結婚も、大蔵省の女性キャリアという肩書を利用したかっただけ」

1986年、片山氏は大蔵省(現財務省)に勤めていた27歳のときに、10歳年上の舛添氏とお見合い結婚をした。当時、舛添氏は東京大学助教授。この結婚が、突然、夕刊紙の1面で報じられたのだ。

「夕刊紙の女性記者に、“結婚を記事にしてくれ”と自ら売り込んでいたんです。さらには、テレビのワイドショーで結婚式が報じられ、親戚から“なんでこんな売名をするんだ”と両親が責められてしまいました」(片山氏・以下同)
大蔵省幹部への結婚の挨拶も終わっていなかった。若手キャリア官僚が“売名”で得をすることはひとつもない。

「結婚生活では、『“大蔵省の女性と結婚したから、さぞ金回りがいいだろう”と友達に言われた。でも何ひとついいことがない』と言われました。私はまだ係長で手取り20万円ちょっとの安月給だったのに、5万〜10万円、お金を入れさせられました」

仕事で遅くなると、「遅く帰ってきやがって」と一方的にまくしたて、さらにはまわりの物を投げつけてくる。

「あまりに怖くて、夜、逃げるようにタクシーで実家に帰ったこともありました。別居を決めて、うちの父に家財道具を取りに行ってもらったんです。そしたら、悔しかったのか、私の私物に上から踏みつけたとしか思えない跡がありました」

3カ月で離婚を考え、弁護士に相談。すると、舛添氏には愛人がいて、妊娠中であることもわかった。離婚調停を申し込むが、舛添氏は応じない。結局、離婚が成立したのは、結婚から2年3カ月後だった。

ビートたけしさんがおっしゃっていましたが、“東大(教授への道)がダメになり、タレントで名前を売って政治家となり権力欲を満たすだけの人”。品性、品格のある政治など、この人には無理。それでも、都知事に居座るでしょうね。ここで辞めたら、もう後がないから。引き際とか考える人じゃないんですよ」

最後は土下座しても都知事の椅子にすがりつきますよだって、

我が家の山野草エリアでエビネが咲き誇ってる、嬉しいね昨年は咲いてくれなかった。