2月7日(火)新日本風土記・檜枝岐村100年の歴史

3時起床、facebook、メール、NHKオンラインをチェック、
オンデマンドに辿り着く、新日本風土記「奥会津檜枝岐村
解説に
桃源郷”と呼ばれた小さな山間の村がある。福島県檜枝岐村
日本有数の豪雪地帯で、
かつて飢きんの際には多くの死者をだしたこの村が“桃源郷”と呼ばれた理由を探る旅。

小さい頃から檜枝岐へは何遍も行ったことがある、
実家が味噌醤油を営む稼業、
檜枝岐は大のお得意様、尾瀬の山小屋までヘリで醤油を運んでくれた、
小学5年の時ここから燧ケ岳を登り尾瀬ヶ原を一周した、
連れてってくれたのは唐司俊夫先生、トラックの荷台に乗って檜枝岐へ、
テントを担いで辛かったけど想い出がいっぱい詰まってる、

最近は毎年訪れる、大自然に囲まれた山間の里標高960mもある
60年前に独立、水力発電所の建設する、村人全員が株券を買う、
初代村長星愛三郎は、式辞に一人一人の力を合わせ村を作っていこう、と涙ながら訴えたという。
当時はコメは取れない、山の恵みを頂いての生活、
檜枝岐は落人の村1200年を遡る、藤原姓を星に変え、平野、橘、この3つで99%
互いに呼び合うのは姓ではなく名前で呼び合う、

蕎麦が主食の時代もあったろう裁ち蕎麦として有名だ、一枚の打った蕎麦を手定規で裁く
檜枝岐独自の文化が受け継がれている、
柳田邦男は民族記で檜枝岐は日本の桃源郷と呼んだ、

今年は檜枝岐歌舞伎に合わせて行って見たい、