秩父宮雍仁親王殿下と勢津子妃殿下の写真展が御薬園であり、
この際勢津子妃殿下のことを知りたく参上した、
秩父宮殿下は昭和天皇の弟で戦争拡大政策に批判的で養生生活をしながら執筆活動をされていた、
スポーツが好きでスポーツ宮様と呼ばれらぐらいだ、
勢津子妃殿下は外交官松平恒雄(容保の四男)の長女節子様、
戊辰戦争で敗れ朝廷に弓を引いたと揶揄され、会津国賊の汚名を受け明治政府から干されていた、
天皇の弟秩父宮とご婚儀が決まり会津は提灯行列をして祝ったそうだ、
これで会津の汚名は晴れたと、もともと孝明天皇には信頼厚く容保公は御宸翰を頂いていた、
容保公は死ぬまで肌身離さず身につけていたと言う、

御薬園の一画に移築された重陽閣は東山温泉新滝に三階建ての別荘として立てられていた、
簡素な建物ではあるが趣はあった、
写真の数々を拝見し松平家の権威を守り通し今に至っている姿は立派だ、
オラが会津の殿様の風格はある、

御薬園の歴史は古い蘆名時代から始まってる、
三代藩主正容が園内に薬草、朝鮮人参等を栽培し研究された、
ひところは容保公が東京から御薬園に移り住まれた、
戊辰戦争をくぐり抜け残った庭園は「日本の歴史公園100選」に指定されている、

お天気も良く散歩日和、歴史公園をゆっくりと散策して来た、