1時起床、昨日、11月17日に行われた公開シンポジュウム、戊辰150年を超えて会津の義、孝明天皇からの御宸翰からを見る、
孝明天皇からの宸翰は容保が秘蔵し、死後に見つかったとされていたが、容保から1889(明治22)年に提出され、
明治天皇の手元で一時保管されていたとの新事実が、宮内庁の史料から今年判明した。
シンポジウムでは調査に携わった宮内庁書陵部研究員の白石烈さん(いわき市出身)、会津松平家14代当主の松平保久(もりひさ)さん、会津会会長の柳沢秀夫さん、室井照平市長が出席し、歴史作家の星亮一さんが司会を務めた。
白石さんは「名誉を回復するため会津松平家がどう生きたか、(新事実が)それを議論するためのスタートになってほしい」、
松平さんは「明治天皇は孝明天皇と会津の結び付きを認識し、それが勢津子妃の皇室こし入れにつながったのではないか」と語った。
新たなる新事実が見つかり歴史は紐解かれる、秋月悌次郎が嘆願書を書き容保と共に内宮大臣へ提出された、
明治天皇は1ヶ月間かずかりその事が今年判明した。
会津は孝明天皇をお守りするその一念で京都御所を警護した、薩長土肥は孝明天皇が崩御されたその年に明治天皇を担ぎ幕府を倒し
御宸翰は孝明天皇がいかに会津を頼りにしてたかが書かれている、
明治時代の会津は、会津憎しであらゆる場面で虐げられた歴史が物語っている。
今でも長州萩とは仲違いしてる、薩摩では戦争と言えば西南戦争を言うらしいが、会津でも戦争と言えば戊辰戦争を言う。
会津の義は果たされたかと見えるが実のところは根が深い。
言志志録は、人生訓読んでいると心が洗われる。
第175条には、過去は及ばず、未来は知らず、今このときだけを考える。生きているこの瞬間が人生と説いている。
「永遠なりいま」今を大事に生きろと戒めている。
第189条は、人為的、天為的「人事を尽くして天命を待つ」
第190条は、昨日の貧者は今日の富者、今日の富者は明日の貧者」人生は運否天賦と言えども自分次第で考えも変わる。
人をもてあそべば徳を失い、徳をもてあそべば志を失う。
尖った所が一つでも取れればまろみが増すと言う事。
災害の事が頭から離れない、昨年から台風、豪雨が大型化して多くの人が亡くなっている、
温暖化型豪雨、新しい災害で連鎖的に河川が溢れゲリラ豪雨と化す、
昨年は岡山倉敷真備町がやられた、爪痕は未だ復旧してない、今年が台風15・19号が大暴れして関東・東北がやられた、
気象庁は、誰があなたの命を守るか、真先に避難することを考えて欲しいと叫んでいる、
地球温暖化が豪雨に及ぼす影響は計り知れない、日本中どこで起こっても不思議でない状態に陥ってる。
災害は忘れた頃にやってくるというが、今では明日起こる災害と認識すべきだ。