12月13日(水)カズオ・イシグロノーベル文学賞、晩餐会で行なったスピーチは日本国憲法9条こそノーベル平和賞だと、、

2時起床、facebook、メール、NHKオンラインをチェック
昨夜の池上彰さん吠えた、国民は安倍総理に操られている、北朝鮮まで操るしたたか者
私もどうもおかしいと勘ぐっていたが言われて見るとそれもありか、、、

一方、ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロさんはストックホルムの晩餐会で行なったスピーチ
日本国憲法こそ世界中から戦争をなくす唯一の約束事になる、
ノーベル平和賞を与えるべきと、、
イシグロさんの言葉だ、
陛下、殿下、そして紳士淑女の皆様。

 大きな外国人の顔、西欧の男の人の顔が、私の本の1ページを埋めるようにカラーで描かれていたのを、鮮明に記憶しています。
堂々とした顔の後ろの一方に見えたのは、爆発による煙とほこりでした。
もう一方に描かれていたのは煙の中から空へと昇っていく白い鳥でした。
私は5歳で、伝統的な日本の家の畳の部屋で腹ばいになっていました。
この瞬間が印象に残ったのは、私の後ろの方で、ダイナマイトを発明した人が、
その使われ方を心配して(日本語で)「のーべるしょう」を作ったと話す母の声に特別な感情がこもっていたからです。
「のーべるしょう」という言葉を日本語で聞いたのは、これが初めてでした。
「のーべるしょう」はね、と母は言いました。
(同)「へいわ」を促進するためにあるのよ、と。
「へいわ」はピースやハーモニーという意味の日本語です。
私の街、長崎が原爆によって壊滅的な被害を受けてから14年しかたっておらず、まだ年端もいかない私でも、平和とは何か大切なものであること、
それがなければ恐ろしいものがこの世界を襲うかもしれないことを分かっていました。

 ノーベル賞は他の偉大な賞と同じく、小さな子どもでも分かるようなシンプルなもので、
それがきっとこれまで長く世界の人々の想像力をかき立て続けてきた理由でしょう。
自分の国の人がノーベル賞を受賞したことで感じる誇りは、
オリンピックで自国の選手がメダルを勝ち取ったのを見て感じるものとは違います。
自分の部族がほかの部族より優れていることを示したからといって、誇りをもったりはしません。
むしろ、自分たちのうちの一人が人類共通の努力に著しい貢献をしたことを知って得られる誇りです。
わき上がる感情はずっと大きく、人々を融合させてくれるものです。

 私たちは今日、部族間の憎しみがますます大きくなり、共同体が分裂して集団が敵対する時代に生きています。私の分野である文学と同じく、ノーベル賞は、こうした時代にあって、私たちが自分たちを分断している壁を越えてものを考えられるよう助けてくれ、人間として共に闘わねばならないことは何かを思い出させてくれる賞です。世界中で母親たちがいつも子どもを鼓舞し希望を与えてきたような、母親が小さな子どもに言って聞かせるようなものです。このような栄誉を与えられて、私はうれしいと思っているでしょうか? ええ、思っています。
私は受賞の知らせを受けて直感的に、「のーべるしょう」と声に出し、その直後に、いま91歳の母親に電話しました。私は長崎にいた時、既に多少なりとも賞の意味を理解しており、今も理解していると思っています。ここに立って、その歴史の一部になることを許されたことに感動しております。ありがとうございます。

オスロで授賞式がありサーロー節子さんのスピーチが輝いた、被爆体験は参加者の心を捉えた

サーロー節子さんのスピーチ文

皆さま、この賞をベアトリスとともに、ICAN運動にかかわる類いまれなる全ての人たちを代表して受け取ることは、大変な光栄です。皆さん一人一人が、核兵器の時代を終わらせることは可能であるし、私たちはそれを成し遂げるのだという大いなる希望を与えてくれます。

 私は、広島と長崎の原爆投下から生き延びた被爆者の一人としてお話をします。私たち被爆者は、70年以上にわたり、核兵器の完全廃絶のために努力をしてきました。私たちは、世界中でこの恐ろしい兵器の生産と実験のために被害を受けてきた人々と連帯しています。長く忘れられてきた、ムルロア、エッケル、セミパラチンスク、マラリンガ、ビキニなどの人々と。その土地と海を放射線により汚染され、その体を実験に供され、その文化を永遠に混乱させられた人々と。

 私たちは、被害者であることに甘んじていられません。私たちは、世界が大爆発して終わることも、緩慢に毒に侵されていくことも受け入れません。私たちは、大国と呼ばれる国々が私たちを核の夕暮れからさらに核の深夜へと無謀にも導いていこうとする中で、恐れの中でただ無為に座していることを拒みます。私たちは立ち上がったのです。私たちは、私たちが生きる物語を語り始めました。核兵器と人類は共存できない、と。

 今日、私は皆さんに、この会場において、広島と長崎で非業の死を遂げた全ての人々の存在を感じていただきたいと思います。皆さんに、私たちの上に、そして私たちのまわりに、25万人の魂の大きな固まりを感じ取っていただきたいと思います。その一人ひとりには名前がありました。一人ひとりが、誰かに愛されていました。彼らの死を無駄にしてはなりません。
 米国が最初の核兵器を私の暮らす広島の街に落としたとき、私は13歳でした。私はその朝のことを覚えています。8時15分、私は目をくらます青白い閃光(せんこう)を見ました。私は、宙に浮く感じがしたのを覚えています。静寂と暗闇の中で意識が戻ったとき、私は、自分が壊れた建物の下で身動きがとれなくなっていることに気がつきました。私は死に直面していることがわかりました。私の同級生たちが「お母さん、助けて。神様、助けてください」と、かすれる声で叫んでいるのが聞こえ始めました。

 そのとき突然、私の左肩を触る手があることに気がつきました。その人は「あきらめるな! (がれきを)押し続けろ! 蹴り続けろ! あなたを助けてあげるから。あの隙間から光が入ってくるのが見えるだろう? そこに向かって、なるべく早く、はって行きなさい」と言うのです。私がそこからはい出てみると、崩壊した建物は燃えていました。その建物の中にいた私の同級生のほとんどは、生きたまま焼き殺されていきました。私の周囲全体にはひどい、想像を超えた廃虚がありました。

 幽霊のような姿の人たちが、足を引きずりながら行列をなして歩いていきました。恐ろしいまでに傷ついた人々は、血を流し、やけどを負い、黒こげになり、膨れあがっていました。体の一部を失った人たち。肉や皮が体から垂れ下がっている人たち。飛び出た眼球を手に持っている人たち。おなかが裂けて開き、腸が飛び出て垂れ下がっている人たち。人体の焼ける悪臭が、そこら中に蔓延(まんえん)していました。
このように、一発の爆弾で私が愛した街は完全に破壊されました。住民のほとんどは一般市民でしたが、彼らは燃えて灰と化し、蒸発し、黒こげの炭となりました。その中には、私の家族や、351人の同級生もいました。その後、数週間、数カ月、数年にわたり、何千人もの人たちが、放射線の遅発的な影響によって、次々と不可解な形で亡くなっていきました。今日なお、放射線被爆者たちの命を奪っています。

 広島について思い出すとき、私の頭に最初に浮かぶのは4歳のおい、英治です。彼の小さな体は、何者か判別もできない溶けた肉の塊に変わってしまいました。彼はかすれた声で水を求め続けていましたが、息を引き取り、苦しみから解放されました。私にとって彼は、世界で今まさに核兵器によって脅されているすべての罪のない子どもたちを代表しています。毎日、毎秒、核兵器は、私たちの愛するすべての人を、私たちの親しむすべての物を、危機にさらしています。私たちは、この異常さをこれ以上、許していてはなりません。
 私たち被爆者は、苦しみと生き残るための真の闘いを通じて、灰の中から生き返るために、この世に終わりをもたらす核兵器について世界に警告しなければならないと確信しました。くり返し、私たちは証言をしてきました。それにもかかわらず、広島と長崎の残虐行為を戦争犯罪と認めない人たちがいます。彼らは、これは「正義の戦争」を終わらせた「よい爆弾」だったというプロパガンダを受け入れています。この神話こそが、今日まで続く悲惨な核軍備競争を導いているのです。

 9カ国は、都市全体を燃やし尽くし、地球上の生命を破壊し、この美しい世界を将来世代が暮らしていけないものにすると脅し続けています。核兵器の開発は、国家の偉大さが高まることを表すものではなく、国家が暗黒のふちへと堕落することを表しています。核兵器は必要悪ではなく、絶対悪です。

 今年7月7日、世界の圧倒的多数の国々が核兵器禁止条約を投票により採択したとき、私は喜びで感極まりました。かつて人類の最悪のときを目の当たりにした私は、この日、人類の最良のときを目の当たりにしました。私たち被爆者は、72年にわたり、核兵器の禁止を待ち望んできました。これを、核兵器の終わりの始まりにしようではありませんか。

 責任ある指導者であるなら、必ずや、この条約に署名するでしょう。そして歴史は、これを拒む者たちを厳しく裁くでしょう。彼らの抽象的な理論は、それが実は大量虐殺に他ならないという現実をもはや隠し通すことができません。「核抑止」なるものは、軍縮を抑止するものでしかないことはもはや明らかです。私たちはもはや、恐怖のキノコ雲の下で生きることはしないのです。

 核武装国の政府の皆さんに、そして、「核の傘」なるものの下で共犯者となっている国々の政府の皆さんに申し上げたい。私たちの証言を聞き、私たちの警告を心に留めなさい。そうすれば、必ずや、あなたたちは行動することになることを知るでしょう。あなたたちは皆、人類を危機にさらしている暴力システムに欠かせない一部分なのです。私たちは皆、悪の凡庸さに気づかなければなりません。

 世界のすべての国の大統領や首相たちに懇願します。核兵器禁止条約に参加し、核による絶滅の脅威を永遠に除去してください。

 私は13歳の少女だったときに、くすぶるがれきの中に捕らえられながら、前に進み続け、光に向かって動き続けました。そして生き残りました。今、私たちの光は核兵器禁止条約です。この会場にいるすべての皆さんと、これを聞いている世界中のすべての皆さんに対して、広島の廃虚の中で私が聞いた言葉をくり返したいと思います。「あきらめるな! (がれきを)押し続けろ! 動き続けろ! 光が見えるだろう? そこに向かってはって行け」

 今夜、私たちがオスロの街をたいまつをともして行進するにあたり、核の恐怖の闇夜からお互いを救い出しましょう。どのような障害に直面しようとも、私たちは動き続け、前に進み続け、この光を分かち合い続けます。この光は、この一つの尊い世界が生き続けるための私たちの情熱であり、誓いなのです。(END) 朝日新聞デジタルより
力強い堂々した訴えでオスロを町は松明を掲げた市民で埋め尽くされた、
核廃絶に大きなうねりが生まれたように感じた、
核兵器は一発撃たれたらこの地球は無くなる、そんなボタンを押す権利など誰にも無いはずだ。

人間万事塞翁が馬、先々何が起ころかわからない昨今、
身辺の整理をしておくことが大切、心の断捨離だ、
これが立派に出来たら少なくとも私の存在を子孫に語り継ぐだろう、
日記はこれからも書き続けることはできる、物の断捨離をするのが難しい、
断捨離と大きく書いて貼っておく。